演 目
HONEY SUCKLE
観劇日時/05.6.26
劇団/劇団 極 セロリコ
作・演出/滝沢修
照明/鈴木静吾・鈴木志保
振付/杉本結
作詞・作曲/喜井萌希
音響/劇団極
劇場/シアターZOO


女の半生記

 「極」としては珍しく手の込んだエンテーテインメントを創ったもんだ。セロリコが若手役者の修練の場だとはいっても、これだけの外部の出演者やスタッフのエネルギーを得て創ったということは、極の存在価値を問われる作品といわれても仕方がない。
話自体は女たちの半生記とでもいうものであろうか。冒頭、何もない空間に何の開演のインフォメーションも合図もないままに、二人三人そして四人と、セイラー服の女高生が出て、教室の掃除を始める。
これはある女子高のダンス部の部室であるらしい。3日後の学校祭に向けて最上級生である四人は今、正念場を迎えている。だが一人一人の思惑や性向の違いや果ては男女関係を巡って、そうそう一致団結の美しい青春像というわけないはいかない。さまざまなトラブルを内包しつつ何とか学校祭へと向かう。
シーンが変わるとそれから6年後。東京から高名な演出家と振付師、プロデューサーを迎えてのあるミュージカルのオーディションの会場。そこにさまざまな生活と特技を持った大勢の若い男女が集まっている。
それぞれの人生を背負った若いのや、もう若くもない者たち大勢の男女応募者たちの、迫力ある自己PRのパフォーマンスは見応えがある。
そしてその中にはあの女子高のダンス部の3人もいたのだ。親の後をついでダンス教室を運営しながらこのオーディションに賭ける女、ヤクザの娘で結婚したが別の世界に飛び立ちたい女、ダンス部時代は部長だったが、今は東京で売れないタレント稼業の女。
その会場で繰り広げられる元ダンス部OBたちの6年越しの確執の続き……
そしてさらにシーンは変わって何年かの後、養護老人施設の慰問に行った帰りの、ある田舎のバス停、そのドサ回りのダンサーチームはかつての高校ダンス部の4人のメンバーだった。
それぞれのキャラクターはそのまま残っている部分もあり、変わってしまった部分もあり、でも彼女らの組んずほぐれつの昔のチームワークはそのままに残っており、バスを待つためにレジャーシートを敷いて昼食、その最中にもリーダーである女は突然振付をひらめき、あとの3人も始めはいやいや、次第にその熱気に誘い込まれて、ついに四人は人気のない田舎のバス停で新しいダンスの振付に熱中していくのであった。
さまざまな人生を送りつつも、「雀百まで踊り忘れず」で、ダンスを全うする女たちも、確かに一つの人生であろうか。それに4人が集まったのは偶然というか、類は友を呼ぶというか、その4人が集まったということ、そのこと自体が強さになるというのも真実だ。
配役表がないので、役名と役者名は不明です。