演 目
近代能楽集
観劇日時/05.6.9
作/三島由紀夫
演出/蜷川幸雄
装置原案/金森馨
装置/中越司
照明/原田保
音響/井上正弘
衣装/小峰リリー
ヘアメイク/武田千巻
振付/広崎うらん
技術監督/真野純
舞台監督/明石伸一
劇場/さいたま芸術劇場

様式化と強靭な表現力

 卒塔婆小町
満開の椿の大木が十数本、舞台一杯に奥深くまで咲き乱れ、5脚のベンチが中央前面にシンメトリィに置かれた公園の舞台装置、装飾的で華麗な台詞と強靭な肉体表現でその舞台にアリティを持たせた演技者たち。視覚的には幻想性が強いけれども、現実感をもたせる舞台だ。
開幕から終幕までポツンポツンと散り続ける真っ赤な椿の花は、生と死との象徴か。
5人の女性が、公園のアベックたちと鹿鳴館の貴婦人たちの二役で出演するが、これが全部男の役者であったとは! 後でパンフを見て知って仰天した。こんなところにも三島を意識した美意識の拘りが感じられて可笑しかった。
ずっと断続的に聞こえる客席からの、たぶん演出部の人と思われる、あちこちからの手を叩く音は一体何を意味するのか? 邪魔にしか感じられなかったのだが、実はわざと邪魔していたのであろうか?
出演は老婆=壌晴彦・詩人=高橋洋

 弱法師
印象は『卒塔婆小町』とほとんど同じ。俊徳=藤原竜也のメリハリの効いた演技、桜間級子=夏木まりの静謐な奥深さ。
舞台一杯にガッチリと造られた家庭裁判所調停室の大きな古い洋室。ラスト近くその大きな窓一杯に夕日が真っ赤に映えて、実際の夕焼けはそんなにはならないと思うほどの大きな誇張表現だけれども、なぜかあり得ると信じ込ませる力があり、そしてその赤が俊徳の失明した業火のイメージに変わっていく、まるで『地獄変』のような、息を呑む美しく残酷なシーン。
その直後、ガッシリと三方囲みで造られていたとばかり思い込んでいた巨大な壁が実は布製で、それが一瞬に切り落とされた時の衝撃―奥深いさいたま芸術劇場の、虚構を剥ぎ取った裸舞台が確たる現実を露にする。
この『卒塔婆小町』『弱法師』の二本の芝居は何度もみているはずだが、まったく別の芝居のように感じた。やっぱりすごいとしか言いようがない。ただ想像を絶するような莫大な金が掛かっているだろうなとは想像できる。
金を懸ければ良いものが出来るとは限らないのは当然だが、逆に言えば良いものを創るにはそれ相応の金も掛かるということが実感として納得させられたのだった。
芝居はともかく出来るだけ近くで観るものだというのが僕のポリシーだから、大劇場はもちろんどんな小さな劇場でも、可能なかぎり前の方の席に座るようにして、一番前がベストという努力を惜しんだことはない。
しかし残念なことに、この初めて行った「さいたま芸術劇場」は、予約が遅かったので千人規模の一応大劇場のほぼ中央あたりの席であった。舞台からこのくらい離れると役者の細かな表情がよく見えない。
そういうハンディがありながら、これだけの強いインパクトを与えたこの舞台に改めて感銘したのであった。