演 目
桜 姫
観劇日時/05.6.7
劇団名/渋谷コクーン歌舞伎
作/四世鶴屋南北
演出/串田和美
劇場/シアターコクーン

妖艶で怪奇な南北歌舞伎

 『桜姫東文章』という南北の原作は、物語が非常に複雑で人物の数も多く入り組んでいるし、細かな伏線や意外な展開や、以前の結果を微妙に引き継いでいたり、ともかくとてもややこしく、すんなりと飲み込めないほどだ。
以前『ク・ナウカ』が美加里の主演で上演したときのパンフにも「あらかじめ物語を知っておいていただきたいので、ストーリィを紹介します」という記事があったのを思い出した。
逆にいえば、よく分からない部分も勝手な想像ができて面白いということもあるかもしれない。特に現代語の台詞を、歌い調子のような歌舞伎式の発声・発音で演じられるので、うっかりすると大事な台詞を聞き逃すこともありそうだ。
眼目は「最も神聖なる存在であるお姫様が、最も淫蕩な娼婦でもある」という人間の二重性。「野性的な小悪党の痛快な魅力」「しかもその権助さえも桜姫のパワーに打ち負かされる」(いずれも当日パンフレットからの要約)という人間の不思議な面白さ、ということになろうか?
「ク・ナウカ」の舞台は簡潔に引き締まっていて、そういう思いは強く感じられたのを思い出す。その印象があったから、この芝居を観る気になったのだが、やはり現代演劇としては間延びした感じが強い。現代的な感覚としては、よく言えば大らかなのだろうが緊迫感が薄いし、ナンセンスでご都合主義の展開にリアリティが感じられないという大きな欠陥を持つ。『ク・ナウカ』の舞台は、その辺を力でねじ伏せたような感じであったのだが……
もちろんエンターテインメントとして役者の演技を楽しみ、お約束事に感情移入し、その上、スター役者たちが客席の通路を縦横に使って、つまり客席の位置によっては自分のすぐ傍で演じられたり小道具を預けられたり、まさに芝居の醍醐味を目一杯楽しめたのである。
しかし残念ながら、眼目であるはずの前記3項目はそれほど衝撃的に強い印象を与えるものではなかった。
黒を基調としたシンプルでむしろ象徴的といえる舞台装置の続く中でラストシーン、不義の我が子を殺害すべきか否やと悩むシーンで、パッと全照明が点ると、舞台全面が満開の桜で覆われ、移動式の高い小さな能舞台のような台が運び込まれ、桜姫が我が子と短剣を携えてその台に駆け上り、苦悩に悶える場面は息を呑む美しさ、幕は姫の決断を残して降ろされたのであった。
シアターコクーンの客席は、前方三分の一ほどの椅子を取り払い桟敷席とし、小劇場のようにビニール袋に履物を入れ座布団に座っての見物、前から3番目の僕の席は舞台に強い親近感があって良いのだが、前2列の人たちの頭が邪魔で100 %快適とは言えないが、これも桟敷席のひとつの雰囲気であろうか? いつも最前列で観る僕にはむしろ新鮮な体験であったか。