演 目
夏の向日葵
観劇日時/05.6.5
劇団名/演劇集合体マキニウム
公演回数/てくてく公演Vol3
作・演出槇文彦.
舞台監督/二唐俊幸
音響効果/中井孝太郎
舞台美術/濱道俊介
小道具/水野敦子
照明=藤本えり・操作/平野孝
衣装・メイク/吉江和子
制作/金子綾香
劇場/レッドベリースタジオ


極限状況における微細な心理劇

 街から遠く離れた海辺の新開地に住む若夫婦のある夏の夜。TVからは強い台風が接近している緊迫したアナウンサーやレポーターの声が聞こえる。これが音声だけなのによくこんな迫真的な実況中継の場面があったなと思うほどのリアリティがあったのだが、あとでこのシーンのためにわざわざ作ったのを知ってびっくりした。
身篭っているらしい妻は、夫に何かと話し掛けたいのだが、嵐のために仕事の予定がうまくいかない夫はそれどころではなく、あちこちへしきりに電話をしていて屈託した時が過ぎ、すでに不穏な状態が予感される幕開きである。
突然、地震が襲う。動転する二人。停電。続いて激しい余震。津波を恐れた二人はともかく高台へと逃げなくてはならない。
この地震の場面も秀逸だ。以前「新宿梁山泊」がテント劇場で客席を実際に揺らす地震のシーンを作ったが、これは邪道だ。演技者の演技だけで、地震の恐怖を実感させるのが演劇ではないのか?
さて舞台に戻ると、何かを持ち出さなくてはと戸惑う妻・飯田由香(=藤本えり・演)を残して、一刻も早くと焦る夫・飯田和宏(=濱道俊介・演)は、一足先に嵐の中を家を出る。
シーンは変わって高台にあるらしい無人の倉庫らしき内部。一足遅れた妻とはぐれて難を逃れた夫、どこかで連れ立った見知らぬ女・館林敬子(=吉江和子・演)。続いて投げやりな若い男・梶原康秀(=細川泰史・演)、そして愛する新婚の夫を津波に浚われたらしい若い女・三浦康子(=水野敦子・演)。
これらの人物たちが、混乱の極限に陥った人間の心理の綾を克明に描き出す。若い男・梶原は愛する人を失ったらしいのだが、そのとき自分は冷静だった。助けようとすれば二人とも死ぬ。自分が一人で逃げ出したことに深く傷ついているのだが、そのことを素直に語れない。
梶原は、身重の妻・由香を残して先に逃げ出した夫・飯田和宏に、妻のことが真実心配ならばこんなところにのうのうと居られるはずがない、と皮肉に詰問する。
港の街は余震と津波と嵐の中だが、居たたまれない夫・飯田。そんな中へ死んだと思った若い女・三浦康子の恋人・拓也(=浦竜也・演)がたどり着く。ただ呆然とする康子に、自分が生きていたことが嬉しくないのか? と心が冷たくなる拓也。すべての人が極限状況における自分と相手の、心理の取り方の微妙な齟齬に戸惑っているのだ。
そして康子と二人だけになったとき、肉欲の獣心に駆られて康子に暴発しそうになる梶原。緊迫した愛と死に直面した7人の男女の、一夜の群集心理劇が続く。
そして翌朝、ヘリコプターの音が聞こえ、救助隊員が現れ、女性から順次救出され、ハッピイエンドかと思われた終幕、梶原は一人残る。危険を説得されても頑として残る。見失った女がここを頼って来るかもしれないからだ。もう遅いと他人を責めた男が、もう遅い自分に対する唯一の贖罪の方法であったのか……
冒頭、誰も居ない若夫婦の居間の食卓の椅子に、鉢植えの小さな向日葵が一瞬浮かび上がる。この劇を見終わった後で、ささやかな日常における生命の象徴としてのあの小さな向日葵の輝きが鮮やかに蘇って、印象強く思い出された。
レッドベリースタジオは5b×10bほどのただの広間。この空間を横長に使って、舞台も客席も共有の感じ。だから無人で何もないこの倉庫へ次々と避難して来る人たちの作り出すシーンは、観客も一緒にこの場所に避難している、この災害の被災者であるかのような臨場感が強く、この、劇場とはとても言えないような場所が、この劇にとってはむしろ最も適していたのではないだろうかとさえ思う。
拓也の妻・康子が、現代っ子なのはリアリティがあり、この物語の中のほんのちょっとした楽しい微笑ましい彩りであった。