演 目
映画/またの日の知華
観劇日時/05.5.25
疾走プロダクション
製作・脚本/小林佐智子
監督/原一男
劇場/シアター・キノ

作られた人生

 脚本家と監督の意図は「複数の男たちから見た一人の女・知華は、それぞれ違って見えるはず」「一人のヒロインを四人の女優が演じる。私自身の人生で関わってきた女たちに対する想いを凝縮させるために、どうしても必要な仕掛けだった」と宣伝チラシに書いている。いわば一人四役ではなく、四人一役という画期的でユニークな表現方法を用いて話題をよんだ映画である。
もちろん演劇には、Wキャスト・トリプルキャストとかいう方法はある。だがそれは一回の上演中に一人の役を複数の役者で演じるということではなく、二回以上の上演毎に一つの役を交替で演じるということだからまったく意味が違う。さらに一本の芝居の中で一人の人物を二人以上の役者が演じるということも稀ではない。
そして映画でも役の成長と変化に従って複数の俳優が演じることはある。だが一本の映画の中で一人の登場人物を複数の俳優によって演じるというのは珍しい試みではないか。
観ていて率直に感じたのは、この画期的なアイデイァは、監督や脚本家の意図を表現するために無理に物語を作り出したのではないのか? という印象が強かったのことである。
話がご都合主義で単純なのだ。つまり出演する女優に合わせてストーリィが展開するという、先入観かもしれないが、どうもそういう感じが強い。
確かに話の成り行きに従ってヒロインが替わるのは全く世界が替わる感じがして、彼女が60年代・70年代の激動する政治の季節の虚無感から、どんどん人生観が下降志向をたどる経過が納得でき、その意図はよく分かるけれども、それは知華の意思が良くみえず、いかにも制作者側の人工的な意図に嵌った感じなのだ。
ヒロインが次々に替わるのは、その生き方を現すのに適した女優が演じていて、最後の桃井かおりの倦怠が見事にこの知華の人生を締めくくったが、そこから逆算すると、イノセンスの吉本多香美、バイタリティの渡辺真起子、アンニュイの金久美子とさすがに良いキャステングだと思う。
だから逆に言えば、別に一人の女の変遷でなくとも良いわけで、それぞれの女たちの物語を独立させてもいいし、一人の女優が演じきっても良いのではないか。
エピローグの、息子・純一が、知華に同居を誘われたとき祖母に言われて断るシーンの回想と、最後に成人して登場(吉岡秀隆)する場面はセンチメンタリズム、その前でブッた切った方がインパクトが強い。
最初に期待した四人の女優による衝撃は思ったほどではなかったけれども、観進むうちにそれぞれの持ち味が巧く嵌って、特に桃井かおりの力が大きいのだけれどもそれだけでもこの映画は成功していると思える。
個人的に思い入れの大きい美少女・金久美子の早逝した遺作であった。また私的なことだが、僕の姪が音響スタッフとしてクレジットに出ていたのを偶然に発見……そういう仕事を目指して勉強をしているとは聞いていたのだが……
相手役は田中実・田辺誠一・小谷嘉一・夏八木勲ほか。