演 目
映画/野田版鼠小僧
観劇日時/05.5.12
作・演出/野田秀樹
出演/中村勘三郎・中村福助・中村橋之助・片岡孝太郎・中村七之助・中村獅童・ほか
劇場/札幌シネマフロンティア

洗練された爆笑悲喜劇のはずだが……

 野田秀樹の新作歌舞伎を勘九郎時代の新・中村勘三郎が主演するということと、歌舞伎座の臨場感をどれだけスクリーンに再現できるかとということの二つの興味ある関心の強い映画。
ケチな守銭奴の三太=勘三郎が、成り行きで江戸の街に金貨をバラ撒いた。それからトントン拍子に千両箱を集めていく。まあこのあたりはレアリティを求めても野暮だが、やがて名奉行・大岡越前守を巻き込んで、小さな悪に芽生えたほんのちょっとの良心も巨悪に押しつぶされていく虚栄の悲劇……
付和雷同で自己喪失の大衆愚民の愚かさ滑稽さ―2時間の長丁場を、勘三郎は大車輪で駆け抜け、助演者たちもサービス満点の大笑劇のハイテンションを突っ走る。
だが、何故か笑えない。ライブの歌舞伎座は観客の盛大な笑い声が続発するが何か白々しい、作られたような嘘っぽい笑い声だ。
確かに巧い、壺に嵌って洒落ている。しかしこのシネマフロンティアの館内はシンとしている。歌舞伎ということで、見たところ年配の観客が多いようなので、この洗練されたギャグとスピードについていけないのであろうか? 僕も巧いなとは思うが、それほど面白いとはどうしても感じられなかったのだった。
これはどうしてであろうか? 舞台でもない映画でもない、その中途半端のせいだろうか? 例えば映画ならもっとリアルな面白さがあるであろうし、舞台ならば、誇張された面白さがあると思うのだが、それがどっちつかずになっている気がするのだ。誇張の仕方、リアリティの表現法など、方法論の違いもきっとあるようだ。
やはり映画は映画であり、舞台は舞台であり、その両方を欲張った結果の不徹底さとでもいうのであろうか?