さよなら山鶴、またきて翅鶴
上演日時/深川  17.12.17  14:00~15:30 札幌 18.2.4  14:00~15:30 (再演) 劇団名/ふかがわ市民劇団 脚本・演出/渡辺貞之  舞台監督/木全寿幸 音響/石田陽春・吉川博幸  照明/宮田哲自  大道具/櫻庭忠雄・菊地清大 衣装/山上佳代子・蒔田佳代子 スタッフ/松井哲朗・塩田美香・嶋厚志・坂田直紀・小西紀雄 劇場名/深川 市民文化センター「み・らい」 札幌 かでるホール「かでる2.7」 出演/あや=梶みゆき  お婆=池田由美子 庄屋=水上明  娘・かよ=塩田ひより 山姥1=清水真由美  山姥2=金山サワ 村女1=澤田早苗 村女2=浦滝美佐子 村男1=高田祐貴 村男2=福岡慎太郎 おはま=長濱由香  娘・おたか=高田のぞみ  村のお婆=本多孝子 つう=小川千里 子ども達 さなえ=田島早苗 さんきち=岡田朋樹 ともや=矢戸暉弥      みお=布施海音  ゆう大=熊谷菜々穂 あーすけ=及川孝之

演劇の表現が、現実に生きている人たちの新鮮な存在を創る

 

 「美術表現を使ったポスター、音楽を使ったCM、短詩を使った標語」とは僕が良くいう芸術表現を巧みに現実利用した例なのだが、今回のこの演劇表現もまさにその一種であった。現実の人間関係を上手く使って〝人間創りをする〟という目的というか、そのために演劇を利用するのだが、そこに厳然として〝演劇として充分な存在価値がある舞台〟が出来ているのだ。逆に言うと、演劇という表現を使って人間の新しい存在を構築するのだ。
 この舞台の創作には私自身もいささか関わっているから評価し難いのだが、やはり客観的な視点を大事にしながらも評価せざるを得ない舞台なのだ。
 そもそもの始まりは3年前の本公演に、代表の渡辺貞之氏は木下順二の名作「夕鶴」を上演したかった。だが当時の「ふかがわ市民劇団」には、「つう」役はもちろん「よひょう」役者も居なかったから主戦投手と4番バッターを欠いて全道野球大会に出場するような無謀な希望だ。
 その時、渡辺貞之氏は、子供の頃に「ふかがわ市民劇団」に在籍してその後、札幌の学生劇団やアマチュア劇団で活躍していて、当時ちょうど深川近郊に嫁した女性の存在を知り、その女性を「つう」役に「夕鶴」上演を図った。しかし如何せん「よひょう」が居ない。僕はその時に調べて、この「鶴の恩返し」という昔話には〝夫婦の愛情の金銭欲による亀裂〟と〝単なる物欲による亀裂〟の二通りあることを知った。それならば後者だと娘鶴役がいれば老夫婦との軋轢でこの物語が創れるのじゃないかと提言して出来たのが前作である。
 それから3年、「ふかがわ市民劇団」は創立25周年を迎えて前作を再演したいと聞いたが、残念ながら前作の鶴役の女性が新生児を得たばかりで参加が不可能だった。それならば、その10年後を考えた方が、より面白いだろうと提案して、この作品が出来上がった経緯がある。そしてそれが成功したといえるのだ。「ふかがわ市民劇団」は参加者の自由に合わせて創作し、それが的確に表現できた時に成功する。
 しかも作・演出の渡辺貞之氏は、参加希望者全員に当て書きするのだ。しかもそれを過不足なく充当させる奇跡の力を持っているのだ。
 さて、物語は〝鶴の千羽織を巡って人間の欲望の浅ましさがテーマであり、不条理な人間模様、そして純粋な子どもの淡い恋心〟(作者のコメント要約)の具体化である。単純だが根本的なテーマを、参加者全員に上手く配役して、舞台の隅々まで隙のない1時間30分が堪能出来た。
 鶴の化身〝つう〟は、最後にはお爺が欲に惑わされたことに失望して、この老夫婦に別れを告げたが、そもそも、この老夫婦は〝つう〟の命を助け世話をした〝つう〟の恩人なのだ。
 それから十年後、〝つう〟の娘〝あや〟は、かつて母〝つう〟がお世話になった、あの老夫婦のその後が心配になって訪ねて来るところからこの物語は始まる。既に7年前にお爺は亡くなって、お婆がただ一人で誠実に暮らしていた。
 お婆の在所で行き所に迷った〝あや〟を不審に思った子供たちのリーダーである
〝ゆう太〟は、お婆の信頼も得ている。そこから子供たちと〝あや〟と村の人たち、そしてお婆との交友が始まるのだ。
 村の大人たちは必ずしも純真だとは限らない。どうしても物欲に惹かれがちの日々だ。そんな中で〝あや〟は、迎えに来た母〝つう〟と一緒にお婆を連れて「お金のいらない、人を憎まない、理想の鶴の世界」へと仲良くなった子ども達と別れを告げて3人で飛び立って行く。
 この話だけ聞くと、ずいぶんと現世否定のペシミズムな感じがするのだが、そもそも原話の「夕鶴」だって現実の人間社会から去って行く話なのだ。この舞台を観て、「そんな物欲に惑わされるような卑しい人間に自分はなりたくないな」って思った所で、このお話は成功する。そういう物語なのだと思う。
            ☆
 ところで、この舞台でちょっと気になったことを挙げたいと思う。
 〇 大人の物欲と子どもの純粋性とが極端に対立していること。
 〇 大人の一人であるお婆だけが子供たちと交流している事。
  この2点は、このような物語で当然と言えば当然だが、ちょっと典型的で都合の
  良さだけが表現されているような感じも残る。
 〇 パンフレットのスタッフ紹介で〝スタッフ〟とだけ紹介された5人がいること。   スタッフには、それぞれの個人的な担当がある筈だ。そこをきちんと書かないと  責任が曖昧になってしまう。舞台は俳優だけで創るものじゃない、それぞれの担  当スタッフと協力して創りあげる作品なのだから、曖昧にしてはいけない。