寄稿

詩と「劇的なるもの」に架橋する十三章なるか?!

伊 東 仁慈子

 40数年前、「劇団・河」は役者兼座付作家の塔崎健二・構成・演出で「詩と劇に架橋する十三章」を「河原館」で上演した。永い時を経て、今年7月14日~16日の3日間、「旭川CoCoDe」で上演された。
 「続・観劇片々」(58秋の号)の劇評は~それぞれの役者の、その時の心情発露のインパクトは強く大きく衝撃を受けた。しかし残念ながら期待したドラマは浮かび上がって来なかった。今回の舞台では「詩」と「劇」は架橋していなかった~という痛烈なものであった。些かのショックを受けた私は、初演の時と期せずして、今回関わった者として直に肌身に感じた事、心に残ったいくつかのことを文字にしてみた。
  ☆
 2017年7月14日、初日、開演1時間前。緊急なアクシデントがあり、「再会」の代役が決まった。演出家は「台本を持ったまま素読みでいい」と言った。出来るか出来ないかわからなかったが30分トイレにこもった。集中して暗記した。動きをイメージしてみた。
 1分前、満員の客の前で果たして演じる事ができるのか。心臓が跳び出るくらいの恐怖だった。舞台に出ると目の前にすぐ客が居た。

 河原館で初演の時は室谷宣久(ノッコ)が演った。「あなた地球はザラザラしている!」ノッコのふりしぼるような声に鳥肌がたった。今も耳に残っている。
 地球は、世界は、自分は、いびつで、ゆがんで、ザラザラしている。20代の私は、本当にそう思えた。

 40数年の時を経て、私がこのことばを、真っすぐ発するには、己の全存在をかけて板の上に立つしかなかった。今、持ちうる限りの力を全て出し切ること。
 ~死と仲のいいお友だち
  私の古いお友だち!
 ~私の歯で砕かれた永遠の夏
 ~僕には太陽のない秩序が見えます。
 田村隆一の想い。当時の日本。戦争、ヒロシマ、死者たちの群れ、終戦。永遠の夏、十七歳の少年にとってはどこまでも、どこまでも理不尽で暗い。果たして闇の向こうに光はあるのか。
 この詩のことば。どれか一つでもいい。誰かの耳に届いてほしい。それだけを願っ ていたような気がする。
 大切なことは、その言葉が響いたか、響かなかったか。その世界を感性を一瞬たりとも共有できたか出来なかったか、簡潔に云うのなら、それしかないと思う。
 自分の本質に最も近い部分が少しでも揺り動かされたならお互いに良き時間を得ましたね。――ということではないか。

 河原館で上演した時は戦後27~8年だった。詩人たちは生きており、詩も少しは身近に感じられた。戦後72年の今、世界は、日本は、どれ程変容したのだろう。
~とほくまでゆくんだ、ぼくらの好きな人々よ
 果たして吉本隆明は今の日本が世界が、うすらぼんやりとでも見えていたのだろうか。
 私たちはどこから出発してどこまでゆけたのだろう。

 今回の舞台で重要な位置をしめていた菊地雅子さんの舞台美術。シベリアシリーズの画家、香月泰男を想起させる重厚なもので、照明の角度により幾重もの死者たちの顔が浮かび上がってくるようだった。まさに石原吉郎の「葬式列車」の世界。

 最終日、ノッコは上半身裸になった。より本質に近づいたと思った。これは菊地さんの強い要望があっての事。

 「舞台に内藤さんいましたね」終演後、帯広演研・片寄さんの一言。
 そうかもしれない。強い力で私の背中を、皆の背中を押したのは塔崎健二さん、内藤さん。だとしたら……