この作品は10年前に同じ「風蝕異人街」が同じ「阿呆船」で上演したのを観ている。その時の観劇記が以下である。『続・観劇片々』第17号所載
☆
逆説としての悪徳 実験演劇集団 風蝕異人街 第27回公演
07年5月19日/アトリエ阿呆船
マルキ・ド・サド作品集より 構成・演出・照明・装置/こしばきこう
(要約)サン・タンジュ公爵夫人(=三木美智代)が、少女たちを集めて不道徳の実行を薦める。それはまるで邪教集団のようだ。淫乱・快楽、殺人、近親相姦、謀略、その他すべての不道徳を、いちいち尤もらしい根拠を挙げて説得する。 一人の少女・ジュリエット(=宇野早織)は、反論し質問しながらも次第に感化されていく。
半裸の9人の少女(=婀狐・ニケ・俄のぞみ・チハ・雪姫・飯塚有香里・高橋理恵・みなせ・Lane)たちも、貴婦人に鞭打たれながらも肉体の快楽に溺れていく。
やがてぐったりした貴婦人を、車椅子に載せて看護師になったジュリエットは、医師になったサド(=辻潤一)に対応を聞く。医師はセラピーの効果をもう一度やり直そうと申し渡す。そうだったのだ、これはバーチャルリアリティ、幻想に陥った精神病患者たちの治療だったのだ。
今度はジュリエットが貴婦人の役を演じて、次の少女に同じことを繰り返す。サドの作品そのものが、現実を描写するというよりも作者の心象風景を客観的に表現したとも言われているからこの設定も荒唐無稽ではないようだ。
狭い舞台に大勢の出演者が登場するので、ほとんどが貴婦人とジュリエットの問答だけで構成され、それを8人の半裸の少女たちの群像との絡みで見せる。かなり無理な設定だが飽きさせない。
セラピーで括ったのが意外であるが、悪徳を否定するような逆説としての説得力があって興味深かった。
☆
今日はその時の魅力との再会を期待して客席に座った。
だが、一言でいうと、博士と女主人との対話がほとんどで、それは終始単なる論理的な解説なのだ。極端に言えば上から目線で己の持論を抽象的に論理的に議論しているばかりで、観客はそんな話を聞きに来た訳じゃない。話の展開は病院のセラピーだったというオチで、それは07年の時から分かっている。
この博士と女主人との「人生とは何か? 生きるとは? 人間社会を形成する基本は何か? 」などというデスカションを言葉だけでは無く、この登場人物たちの実人生を持って表現すべきなのに、二人の理論闘争だけでやってしまうのは観客として退屈してしまう。 |