夫婦というか、あるカップルの男女と、その子との3人の、たぶん30年間のお互いの関係を、時間的経過を無視して演じる1時間~
だからその30年間の経緯は前後が入り乱れ交錯し、何がどう経過したのか具体的にはさっぱり分からない。
そしてこの舞台の最大の特徴は父・母・子供の3人のキャラクターを演じる3人の役者が、肩に掛けた道具を使って、音響・照明を全部コントロールしながら演技をするどころか、その効果が演技の中に入っているのだ。
演技を客観的に観ると同時に、その3人が主観的に生きている思いを、この舞台に表現しようとしているのだろうか? でもそれは必ずしも上手くいっているとは思えない。奇異なイメージが強すぎて、そっちの方に赴く関心が強いからだ。
この父・母・息子(娘?)の3人の生き方、最後にはその子をロボットに規定せざるを得ない父・母の想い~
顔面を照らす帽子の庇の中の照明は、その人物を極端にクローズアップしてはいるのだけど極端すぎて、他の人物との交流・葛藤の表現としては減殺される。
そしてそれは舞台を四方から囲んだ舞台設定にも言える。観客を舞台に誘い入れようとしたい意図は感じるけれども、余りにも異空間なので遮られる。
僕は観客の客観的意識と、舞台表現の主観的意識とは絶対に分けて考えるべきだと思っているので、この舞台は混沌として分けるには混乱する。奇想が浮いて肝心の劇が視えてこない。まるで「マジックショウ」を視ているような奇妙な感覚だった。 |