やんなるくらい自己嫌悪
観劇日時/17.11.12 14:00~16:00 劇団名/ミャゴラ 作/納谷真大  演出/明逸人 舞台監督/上田知  照明/山本雄飛  宣伝写真/種田基希 宣伝美術/坂口紅羽・澤田未来  ゼネラルマネージャー/カジタシノブ 企画・製作/ELEVEN NINES 劇場名/サンピアザ劇場

生きるか死ぬかの境で悩む人々の心情がうまく伝わらない

 スーツケースを大事に持った男・修二(=梅原たくと)と記憶喪失の少女・アキラ(=宮田桃伽)。修二の妻・ユウコ(=後藤七瀬)と修二の愛人ヤヨイ(=城田笑美)。カチコミ(殴り込み)に失敗した兄貴・エイジ(=ヴィンセント藤田)と弟分ノリオ(=大作開)。そんな訳ありの3組が足を踏み入れたのは「死に行く者たちの聖地」だった……生きようとしても自己嫌悪、死のうとしても自己嫌悪。そんな自分が嫌になる。
 以上が宣伝フライヤーに書かれている梗概を短く纏めてみた文だ。
 今日の舞台は全編が猛烈に激しい動きと絶叫台詞の連続で、ほとんど何をやっているのか分からない。前文のような梗概をあらかじめ読んでいたので、何とかそれらしいと判断できるが、これでは訴求力が弱く、存在感が薄いのではないだろうか?
 満員の観客は120人以上も居たであろうか? 20代を中心の若者が多いが、そして最近はこういう舞台にも高齢者をチラホラ見かけるし高齢者は特に昼の部に多いが、東京では大分以前からウイークディの昼の部が良く上演されて、それらの需要を感じたのだが、最近では札幌でも同じことが感じられる。そして、その高齢者を含めた観客が静かに見守り要所々々では大きな笑い声を挙げている。だが僕は全く笑えない。
 「死にたい気持ち、でも実際には死ねない矛盾した感情……」ごく最近のことだが自殺願望の若い女性を誘惑して殺害した事件があったが、死にたいのは一時逃れの感情であって本当に死にたいわけじゃないのだ。人は何時も生きるか死ぬかの境で悩んでいるのだろう。
 その辺を描いたのだろうと思うけれども、この舞台から、その核心を感じ取ることは全く出来なかった。狂騒乱舞をあっけに取られて見守っただけだった。
 その他の出演者
  聖地の森で困っている人を助けるアシスタント(=工藤紗貴)
  何でも質草にする森の質屋(=澤田未来)
  森で萬屋を営む老婆(=坂口紅羽)
  森のバイセクシャルなコールガール(=菊地颯平)
 こうやって助演者たちを挙げていると、何だかすごく魅力的な役柄だと思われるのだが、なぜ舞台ではそれが感じられなかったのだろうか? 恐らく破天荒な表現が僕には上手く伝わらなかったとしか思えない……