少女・「はなこ」が暗闇の広い空間に閉じ込められたらしく、彼女が照らす懐中電灯の中に「猫河原」という男が居た。そこは誰かが扉を開けて入って来る瞬間以外には外へ出る事はほとんど不可能で、それは死を意味しているのかも知れない。
市立公園のベンチには「猫河原」の内縁の妻・「百合子」が不倫相手の「五郎」と「猫河原」から逃げ出す相談をしている。
「はなこ」は実の父である愛犬・「ブラッキー」に手伝ってもらって自宅で首つり自殺をしようとして「ママ」に見つかってしまう。
「百合子」と「五郎」は本物の人生を探して『世界の果ての家』へ行こうとする。
「はなこ」と「猫河原」も、途中で知り合った肉屋の「犬屋敷」と「猿ヶ島」と一緒にやっぱり『世界の果ての家』を探して旅に出る。
「ブラッキー」は「ママ」の元に戻り、混乱の中で気付くと『世界の果ての家』に居た。「はなこ」も気付くと「猫河原」はスーパーの食肉冷倉庫の中に居たのだ。周りは凍って吊り下げられた肉としての沢山の人間たちだった……
以上の梗概は、この舞台を観ただけでは恐らく分からない。と最初から予想していたので、あらかじめ解説で予備知識を頭に入れておいて観た結果の話の展開だ。
話の展開と言っても、こんなに巧く了解が出来たわけではない。人物はこの8人だが、その他にも大勢の人たちが脇を囲んで話を進めるし、シーンは突然に無関係に転換するし、梗概も分かりにくく何とか納得させようとしただけで実際はもっともっと不可解だ。
如月小春は若くして逝った天才肌の劇作家で僕は名前だけしか知らなかったが、この機会にぜひこの作家を知りたいと思って観たのだが、結局は殆んど混乱と無限の広がりのために不発に終わった。
唯一、言えることは情報が溢れ、組織や統制の現代社会の中での自分の存在価値を軽んじて生きざるを得ない悲劇と、その中でも『世界の果ての家』に一縷の望みを持つ人々の心情を描いたのだろうか?
舞台はこの『世界の果ての家』が時に応じて出現する以外は何もなく、首吊りの不気味なシーンなど、幻想的と言うよりは狂的な夢想の中で、ほとんど絶叫するようなエネルギッシュな演技者たちで、正直、疲れた…… |