月のツカイ
観劇日時/17.11.9 14:00~16:00 劇団名/MAM   作・演出/増澤ノゾム 舞台監督/下澤要  音楽/奥田祐  美術/高村由紀子  照明/鈴木静悟 音響/西野輝明  衣装/佐々木青  衣装協力/有島由生  演出助手/植津恵 写真協力/種田基希  制作/MAM  制作スタッフ/佐藤美帆・兼平瞳・中島諒 劇場名/シアターZOO

自覚しない生死の瀬戸際と、死と入れ替わる新しい生
 様々な事情や自分の思いを意地になって通すために人生を切り替えたり貫いた人たちが、生命を掛けて土壇場に直面する劇的シーンが続出する。
普通なら、そんなに意固地を通すのが不自然に見えるけど、この健司(=遠藤洋平)は両親や旧友達との関係で、こんな捻くれた様な生き様なのだが、それを唯一、理解するのが妻の由里子(=成田愛花)なのだ。彼女だってストレートではない。健二の捻じ曲がったとしか言いようのない心情が我が身の思いにフイットしているのだ。
この健司と由里子の人生って何だろうか? 満ち欠けする月が人間の生命の存続を象徴する月の使い人なのだろうか?
健司と由里子の時代、その両親の時代の二人と三人の仲間たち(信也=高岡諒一・茜=髙宮千尋・武男=杉山俊介)、健司と由里子の娘・真実(=石黒海月)との時代が交錯するのでストレートではない展開に戸惑う。だが、それが「巡る時代を告げる」月の使いなのかもしれない。
 炭鉱事故でサイレンが鳴り響き、会社の担当者・横塚(=本間健太)や同僚の鉱員たち(宮野=ヤシン・正木=奥山裕貴・菅井=本庄一登・越谷=吉田仁志)が慌ただしく出入りするシーンが続出するのだが、人間には多かれ少なかれ何時も生命の瀬戸際に面しているのではないか? このスリリングなシーンは、観客が自覚しない限り際どい瞬間を忘れないようにと警告するかのように実在感の強い場面であった。
 健司の事故死の知らせで気を失った由里子は病院で後の娘・真実を懐妊したことを知る。死と交代する新しい生……
 次代を予告するかのような老鉱員役で増澤ノゾムが出演する。
 2015年3月に同じ舞台を観ている。『続・観劇片々』48号所載に「人間の宿命を象徴する」と題して書いている。