アンネの日記
 観劇日時/17.11.4 11:00~13:30(途中10分間の休憩) 劇団名/座・れら 劇場名/札幌 やまびこ座 脚本/ハケット夫妻(菅原卓・訳)  潤色・演出/鈴木喜三夫 舞台装置/高田久男  照明/鈴木静悟  音響効果/西野輝明 作曲・演奏/YUKII  チェロ演奏/山口健  道具/木村則夫・沼本美和 道具助手/中山梨沙  衣装/木村和美  衣装協力/小山いくみ・富士原愛子 演出助手/神しのぶ・原田星子・仲野悦子   制作助手/近川富美・青木道子・みきと  手話通訳/舞夢サポーターズ 舞監助手/加古美香子・中島朋子  舞監補/寺沢英幸  制作補/佐藤紫穂 制作・舞台監督・演出補/戸塚直人 出演/アンネ・フランク=早弓結菜 ペーター(同居するダーン家の一人息子)=信山E紘希 オットー・フランク(アンネの父親)=佐藤健司   エーディット(アンネの母親)=Amy   マルゴー(アンネの姉)=フクダトモコ   ファン・ダーン(同居するダーン家のペーターの父親)=清水秀紀   フアンダーン夫人(ペーターの母親)=西村津子   デュッセル(後で避難してきた人)=吉川勝彦   クラーレル(極秘に外部と連絡してくれる人)=さとうみきと   ミープ(極秘に外部と連絡してくれる人)=小沼なつき   老夫人(朗読)=竹江維子  孫娘(朗読)=開發愛望・栗井胡弥

新しいアンネ像
 第二次世界大戦の中、ナチスのユダヤ民族迫害の犠牲になった人たちの中で、13歳の少女・アンネとその家族や、父の友人の家族たち合計8人がボランティアの2人の人の隠れた援助・協力によって2年半も密室に弾圧を逃れて密かに暮らし、終戦間近ついに密告によって逮捕され収容所へ強制収束され病没で全滅したが、その隠れ家で書いていたアンネの日記が、その後ただ一人生き残ったアンネの父・オットーの手に渡り出版されて全世界の人々の感涙をふりしぼった実話の経緯は広く知られている。 この日記はその後、舞台化され僕も今から50年以上の前の1960年代に今回の潤色・演出の鈴木喜三夫さんが当時、主宰していた「劇団さっぽろ」が巡演していた当地・深川で初めて観たし、その後、08年11月には小樽の劇団「うみねこ」がやはり鈴木喜三夫さんの演出で上演されたのを観ている。そして「座・れら」が09年6月に上演した『空の記憶』も当時のやまびこ座の舞台で観劇している。
 思えば「アンネの日記」は随分と多くの舞台を観ているような気がしていたが、調べてみると、この3回だけなのだ。それくらい僕にとっても強い影響のあった作品なのだろう。というか、この作品自体の訴求力が強いので実際には観た以上にその印象が強く残っているのだろうと思われる。それらの舞台は、明日の生死も分からない劣悪な生活条件の中でも、それでも諦めずに明日を信じて明るく健気に生きる素直で率直な少女としてのアンネを観て感じていたような気がする。
 だが今日のアンネ像はかなり違っていた。明日を信じ逞しく今日を生きるという少女像は、その通りなのだが、もっとずっとその場その時の生の感情をぶつける裏表のない逞しい少女の印象なのだ。父母や姉、そして同居するペーター少年はもちろん、その両親や後から避難してきたデュッセルさんたちに対しても、どんどんと明けっ広げに、その時その時の素直な感情をぶつける。特に母とは常に衝突する。父だけが自分を理解してくれると単純に思い込んでいる。
 今日観たアンネは、そういう少女の印象が強く、アンネの性格が今までと違って視えた。今日のアンネの方が生き生きとして実在感が強い。正直言うと過去に観たアンネは聖像化して観て、一般的な少女とは別な人物像だったような気がする。
 帰途、道内でも人気の高い演劇人・弦巻啓太さんと偶然に出会って感想を話し合っていたら、彼は「今日の表現が原作に近いのです。過去の脚本は一種の良いとこ取りで、実像では無いのです」と仰っていました。
 さて、舞台はナチスのガサ入れで全員が逮捕される寸前で一端ストップし暗転すると、生き残った父・オットーが助けてくれたクラーレルとミープからアンネが残した日記を受け取り、その後日談を延々と語る。
 だがおそらく観客はそれは百も承知なのだ。8人が絶望した時点で舞台は終わった方が劇的衝撃としては強いのじゃないだろうか? その方が劇としての訴求力が強いのじゃないだろうか? 僕らにとってこの部分は蛇足のような気がするが、物語の流れとしては、この後の強制収容所での経緯がなければ尻切れトンボになるのだろうか?