後 記

前々号(54号)の訂正
11月12日に観劇した北翔大学・舞台芸術3年目公演の「眠れる森の死体」の役名と出演者名(学生名)が間違っていました。

間違った掲載文 
17ページ1行目最後尾から
写真に撮る予備校男子生徒・ヒロミ(=下川祐希)。ベッドを捨てに来る男子高校生・エイジ(=松永颯)とオサナイ(=池田拓斗)の2人。
17ページ最終行最後尾から
そして猪瀬はヒロミの父親であるらしい。

訂正文 
写真に撮る予備校男子生徒・エイジ(=松永颯)。ベッドを捨てに来る男子高校生・ヒロミ(=下川祐希)とオサナイ(=池田拓斗)の2人。
そして猪瀬はエイジの父親であるらしい。
つまりエイジとヒロミとが逆になっていました。お詫びして訂正いたします。

絵本『チリンの鈴』
『えほんがたり』の影響で最近、絵本に興味と関心を持つようになった。今日知って衝動的だったのは、やなせたかし原作の『チリンの鈴』だ。現物そのものは読んでいないが梗概を知ると考え込んでしまったのだ。しばらくは落ち込んでいた。
狼と子羊との逆転した運命の関係が恐ろしくも暖かくも感じられて、名作『あらしの夜に』を深く恐ろしく拡大して書きこんだ物語だとも思った。

『詩と劇に架橋する十三章』と『えほんがたり』
旭川の「劇団・河」が30年ぶりに復活公演『詩と劇に架橋する十三章』を公演する。それは単なる詩の朗読ではなくて、詩に内在する劇性を身体で表現する舞台とでも言おうか。
50年以上も昔に早稲田小劇場の鈴木忠志が「演劇的シチュエーションを内面心理のみならず身体感覚で裏付けること」と称したことの別の見方とも言えるのだろうと思っている。
それで思ったのは、「えほんがたり」もまさにそれだと思う。絵本に内在する劇性を再構築して舞台作品のように表現しようとする試みが感じられ、劇の魅力って凄いなあと感心し大いに期待するのである。

朝日新聞・天声人語より(一部抜粋)      6月14日
手塚治虫は幼いころ、母親から漫画の本を読んでもらっていた。親が子に読み聞かせをするのが今ほど一般的でなかった時代である。しかも、その読みっぷりが傑作で、登場人物の声色を使い分け、面白おかしく演じてくれた。
聞きながらわくわくしたり、はらはらしたり、感きわまって泣き出したりしたと、自著に書いている。
ここにも「えほんがたり」の原型があった。

一覧表作り                     6月15日
このところ、ずっと過去に観た舞台の一覧表を作っている。今、観た舞台が以前に観た作品ととても似ていたり、全く同じだったりする場合、どうしても参照したくなるからだ。

最初の頃の『風化』に書いた文章はまったく形式も無く、思ったことを殴り書きしているだけなので、整理しなければならず、何度も何度も整理し直している最中である。まだまだ時間が掛りそうだ。