シャケと爺と駅と  観劇日時/17.5.7 13:00~15:00  劇団名/劇団 イナダ組  作・演出/イナダ  照明/相馬寛之  音響/大江芳樹
 舞台美術/FUKUDA舞台   衣装/村山里美  舞台監督/福田恭一  宣伝美術/山田マサル  宣伝写真/奥山奈々  WEB/奥島康  制作/小柳由美子・村山里美・新浜円・中村ひさえ  制作協力/祭屋  プロデューサー/五十嵐聡  企画・制作/劇団 イナダ組  劇場名/コンカリーニョ  出演者/   国木田富三(駅長)=武田晋   国木田浩介(富三の長男)・富三の現役時代の上司=藤村忠寿   国木田しおり(富三の長女)バーのママ純子=山村素絵   国木田ありさ(富三の次女)=吉田諒希
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  蔦谷(ツタヤン)・マルマス=赤谷翔次郎   カオル・ミサト=藤谷真由美   爽太・かずとよ=KEI
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  若い日の国木田富三=HIROKI     光江(若い日の富三の恋人)=池江蘭
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  医者・田町・お婆さん=佐藤剛     駒込・二郎・看護師・渡辺=葉山太司   山根=白鳥雄介  キミエ=伊藤千香

同年配の我が身を省みる

この舞台は09年6月に僕が観た『プーチンの落日』が最初だと思う。その後タイトルを替え、細かな変化を続けながら何度も再演されている。当時の僕は74歳で、この富三は78歳という設定だから、あと4年後の僕を想像しながら観ていた記憶がある。
だが今はもう、この設定を4歳もオーバーしてしまった。
その時の感想だと、枠組みの大きなホームドラマの中での、かつて華やかで充実した青春を送っていた老人が折に触れて、その賑やかで様々な体験をした過疎地の駅長としての経験を懐かしく想い出すというくらいのイメージが強かった。
でも今日の舞台からは、老齢により認識力・判断力が弱まったり間違ったりしてゆく老人の悲哀を、華やかでエネルギーの力強い50年前を切なく想い出すばかりになって行く哀愁が強く訴えられた。
この主人公は78歳だから僕よりも若い。だからこの舞台で起こっていることはシチュエーションが違っても僕自身に起こっても不思議ではないことになる。
僕の場合、妻は早逝し三人の子供たちは早くから全員が東京で自立しているから僕は故郷の田舎で独居老人だ。家族が一緒に居たら僕もこの駅長のようになっていたかもしれない。子供たちは「東京に移住したら」と言うけれども、恐らく東京の子ども達の所へ行ったら言葉は悪いけれどもペットのように飼い殺しになるに違いない。
僕は現在地で多くの友人たちとの交流を力に自立して居たい。イヤ、だから自立出来ていると信じたいが、さてここで記憶力・判断力・自立の体力がなくなったらどうするのかという別の不安も出てくる……
この舞台は登場人物も多く、特に若い時の上司と現在の娘婿が一人二役で交互に登場するので混乱する。頭の中で相関図を描きながら観ていた。
タイトルに〝シャケ〟が出て来るが、このシャケのインパクトが弱い。何か大事な部分を見落としたのだろうか。タイトルと言えば『プーチンの落日』の「プーチン」とは小さな独裁者だろうかと初演の感想に書いてあった。
駅舎を、娘夫妻が食堂として営業している基本舞台に、元・駅長の回想シーンになると正面の壁面が開き、改札口とホームが現われ乗客たちが降りてくる場面は、何度観てもインパクトが強く印象的だ。初めて観たらしい観客たちの嘆声が波打つ、忘れがたいシーンである。