遊戯祭17 谷川俊太郎と僕
観劇日時/17.4.29 主催/遊戯祭実行委員会  共催/NPO法人コンカリーニョ
舞台監督/高橋詳幸  音響チーフ・写真撮影/大江芳樹 宣伝美術/キンダイチミキオ  WEB製作/八十嶋悠介 企画・制作/遊戯祭実行委員会
劇場名/琴似 コンカリーニョ

若さ弾ける谷川俊太郎

今年のモチーフは、詩人・谷川俊太郎の創った詩である。少々観念的で抽象的な詩だから今の若い人はどう感じるのか期待を持ったが、思ったよりも平易であり素直に受け止めていたように感じた。全3作品を紹介する。

作品1 20㎡の胞 上演時間/11:00~12:10 劇団名/デンコラ 「演劇」と「デザイン」の「コラボレーション」のデンとコラを凝縮した語?  モチーフ詩タイトル/二十億光年の孤独  
 脚本/徳永萌 演出/むらかみなお 制作/小暮日奈子・小島彩香  舞台装置/高橋萌・齋藤有美佳 舞台協力/秋山倫瑠 照明補佐/市川晴菜  衣装協力/神田眞菜美   
 出演/えな=むらかみなお けい=古川侑三郎 まゆ=秋山りな     そうすけ=小椋翔貴 しほ=ナカムラサキ     父=宮森峻也    ピアノ伴奏=高橋清伽

人間存在の基本的精神のありようをリアルに具体的に
しかも象徴的に表現する舞台

7人の男女たちのそれぞれの様々な人間関係は、すべて交流を持ちたいと念願しつつ、一方では孤独でもありたいという矛盾した想いがある。それは男女関係はもちろん、友人間、親子間など全ての人間関係に及ぶ。
それらの関係を7人によって典型を描き出す。それは典型的なのだが、とても具体的事実で説得力がありリアルでもあると同時に、ダンスを交えたり時間や空間が飛び跳ねたり交互したり、その意味では象徴的でもあり示唆に富んでもいて、いかにも演劇的でもある。
つまり、宇宙の存在自体が人間同士の存在関係の象徴であるとしたら、火星も連帯を求める仲間の一人でもある。膨らんで行く宇宙の中で不安を感じる火星人も小さな地球上の我々人間も同じ存在であろう。
人間は基本的に孤独であり、だからこそ人との繋りを求め、そして絶望する。不安が常在する。人間とは基本的にはそういう存在なのだろうかという哲学的な問いかけを一つの具体的なシチュエーションに託して表現しようとした舞台といえようか。
視覚的な表現はスッキリしていて力強く、演劇とデザインとのコラボレーションの意図は感じられる。
一つ気になったのは、最初に〝えな〟が〝けい〟の部屋に始めて入る時、〝えな〟が強く拒否しながら、いつの間にか自分のトランクを協力して運び込むシーンが不自然だったことだ。
この不自然さが交流を拒むという孤独願望と、一方連帯を念願する矛盾との象徴とも言えるのかも知れないが、余りにも唐突でリアリテイがなく違和感が強すぎたのでその後の展開に素直に入って行きにくかったのは事実であった。

作品2 平木トメ子の秘密のかいかん 上演時間/15:0~16:45  モチーフ詩タイトル/これが私の優しさです
 脚本/米沢春花  演出/前田透  小道具/丹野早紀・勝見ケイ  衣装/小川しおり  制作/橋田恵梨香  音楽/山崎耕佑    バンド/三浦茉奈・山崎耕佑・遠藤洋平・前田透・吉岡健

大人・子供・男女・年齢に関係なく現世を謳歌する

会館の人・平木トメ子(=西村翔太)が責任管理しているこの街の会館は、子ども達と大人たちのそれぞれが、夕方からと夜とに分けて使われている。
大人の中には愛妻を亡くした人や子どもの中にも敬愛する祖父と死別した子もいる。それぞれがそれぞれの不幸な別れ方をした家族との絶ちがたい想いを持ちながら新しい人間関係を育てていく。
三つのグループの喧騒の顛末を激しく賑やかな盆踊りのライブをBGMとして、随所に湧き上がる盆踊りの群舞を交えながらエネルギッシュに展開する。
最後に妻に死別した男は、その悲しさを乗り越えて新しい愛を育てようとするエピローグで幕となる。
子どもの役を大人が演じたり、平木トメ子を男の役者が演じるのにほとんど違和感がないのに、なぜか一番出番の多い愛妻に先立たれた男を女優が演じているのか強く場違いな感じがあった。恐らく何らかの意図があったのだろうが遂に分からずじまいだった。大人も子どもも男も女も一人の人間の存在としては基本的に同じ精神を持とうという謂いなのだろうか。
平木トメ子がこの会館に何を秘密としていたのかはもちろん、この話は一体、何を言おうとしたのか全く不明のままに、大騒ぎを一緒に楽しんだのだった。
雰囲気が分かるように、その他の出演者を紹介します。

大人のグループ
  平木彩夏(トメ子の娘・31歳で独身)=小川沙織
  山本湊二郎(市役所勤務で、あだ名・やまじ)=安田せひろ  
  沢辺圭吾(イオンのマネージャー)=おかしゅんすけ
  田中空成(電気屋さん)=後藤カツキ  本村杏渚(紅一点)=木村歩未
子どものグループ
  佐々木颯介(ませた子供)=井上嵩之  沢辺七海(圭吾の娘・小学生)=朱希
  杉浦葉月(スポーツ万能・地味系)=和泉諒  山根草太(オットリ系)=安藤友樹
大人の立場の人
  佐々木涼太郎(先生・颯介の父)=西村颯馬  田中楓(空成の妻)=松田弥生
  木村桐貴(杏渚の旦那)=梶原正樹(Wで勝見ケイ)
その他・ マスコットキャラクター
  MC脂肪漢(演者の表記なし)  パッション(演者の表記なし)

作品3 それを聴いたとき、  上演時間/20:00~21:20  モチーフ詩タイトル/春に
 脚本/白鳥雄介  演出/畠山由貴  舞台監督/高橋詳幸 照明チーフ/高橋正和 音響チーフ/大江芳樹  映像/泉香奈子 宣伝美術・音楽/金子ゆり 宣伝写真/arisa・中野晴菜  制作/山本眞綾 制作補助/中澤千智・阿部星来・八田夏海
 出演者/曽我夕子・袖山このみ・倖田直機・市場ひびき・湊谷優・平井雄己・      戸田耕陽・五十嵐穂・中澤千智・中ノ里香・後藤貴子・屋木志都子

現実離れのお伽噺

大学院を卒業して就職試験に臨んだ真紀には、何一つ具体的な目標がなく努力しようという意志も無かった。
真紀には、いつも背後霊のように本人の五つの代表的な性格が付き添っていて彼女の行く先々に常に現れて葛藤していた。それほど真紀はいつも決断できない女だったのだろう。
ある就職面接の時、競争者が尊敬する人物に谷川俊太郎を挙げたことで、なぜかこの詩人に関心を持つ。真紀はこだわり症なのでこの詩人を調べ、ネットで知り合った俊太郎に詳しい男性とメル友となり俊太郎に深入りし熱狂する。
化学の研究をしている真紀の唯一の親友がアメリカでの国際シンポジュウムに招待されているのだが、直属の上司であるこの学界の権威である教授が体調不良で出席不能になり、渡米3日前にその友人からアシストを依頼され悩むが結局アメリカへ招待されるという魅力に負けて同行する。この辺りはちょっと現実離れしたストーリィだ。
シンポジュウムで発表する友人の研究論文の解説グラフの一節に、彼女が谷川俊太郎の詩を入れたことにより、発表者の真意が詩的に表現されたとして、これが解説グラフの最優賞を受賞する。
帰国後、俊太郎に詳しい男は実は国語教師を定年退職後の老人であったことが、その孫の女性のお礼の来訪によって知る。彼女にはいつも見守ってくれていた自立心の強い同級生が居たのだ。
二人は花びらを掛け合ってハッピイエンド。どんな精神状態にいる時にも負けないでいればハッピイエンドになるという向日的な分かり易いお伽噺。
『それを聴いたとき、』の舞台に五つの性格を象徴する背後霊が出現するのは面白いのだが、それが本筋と隔離しているようで勿体ない設定だったような気もする。

          ☆

谷川俊太郎の世界を扱った三本の舞台を観たのだが、それぞれにその世界を表現しようとしている意図は判るのだが、強い訴求力を持って俊太郎の世界が迫ってくる魅力は感じられなかった。俊太郎を利用してそれぞれが独自の世界を表現しているような気がする。