走 る
観劇日時/17.1.16  19:00~20:50 劇団名/富良野GROUP 公演形態/特別公演 作・共同演出/倉本聰  演出・振付/中村龍史   演出補/平木久子・中村留美子  演出助手/森上千絵 音楽/倉田信雄  舞台監督/九澤靖彦 照明/広瀬利勝・阪井駿太郎・平塚純平・秋田谷汐莉・佐藤愛恵 音響/三浦淳一・堀啓子  舞台進行/鬼塚孝次・渡辺茅花・石橋徹城 記録/松木直俊   制作/石川慶太・岩本穂・谷山一也・小野坂貴志・太田竜介・鴇田真理 エグゼクティブプロデユーサー/林原博光 劇場名/富良野演劇工場 出演/男=久保隆徳 ランナー1=森上千絵   2=おか えいり 3=大山茂樹 4=松本りき 5=黨清信    6=TERU   7=林りんご   8=シマハラヒデキ         9=斉藤佳器   10=岡本加奈 11=曖昧モコ  12=羽吹諒     13=東誠一郎   14=勝又啓太 16=小野洋子  17=伊藤壮太郎   18=菅野恵    19=倉林一成 20=竹原圭一  21=小林可奈    22=三浦優    23=沼田晃平 24=水津聡   25=七里海流クノー 26=久保勝史   27=猪子智史 28=小林宏樹  29=前田隆成    30=篠木隆明   31=酒井波湖 32=蓮井祐麻  33=中尾晴実    34=星果歩    36=YURINO 37=水野江莉香 38=(伴走者)熊耳慶        39=須田そより 姉=小林可奈 サラリーマン=公演各地の男性有志

「生きる」ことは「走る」こと

「走る」ことは「生きる」ことと同義語かもしれない。この舞台は、その意味を具体化しようとしたように思える。
40人以上の老若男女のマラソンをスタートから途中経過、そしてゴールまでの様子を全体や部分を様々なTV中継の技法を用いて表現する。
例えば「その場走り」とは、ランナーの前からランナーと同じ速さで後退しながら移動するカメラら見たランナーの様子である。
「フイックスパン」とは、カメラの横から画面に入って来たランナーと一緒にカメラが走ると「その場走り」になり、カメラが止まるとランナーは逆の方向へ走り去る。
それらの各シーンは、まさにマラソンの実況中継そのものであり、力強い迫力は素晴らしい描写だ。
一人一人の走る心情と人生を生きる実情の告白、ライバルとの葛藤、3人以上のグループそれぞれの対人関係、盲目の少女は伴走の父親に手を引かれて、などが描写され、それが人生であり走っている人生なのだ。
ここに焦点を合わせた物語の創り方と、それを走ることに象徴させたことにユニークな舞台として刮目する。
作者・倉本聰は「……人々はゴールのないマラソンを、欲望のままに走っていたンじゃないか? 哲学のない走り、無反省な進歩の行き着く先に、何があったのか、その象徴的な出来事が、3.11の原発事故です」「人は何のために走るのか。何に向かって走るのか――。」と語っています。(要約・赤旗日曜版17年1月22日付より)

だが途中から、何人も何人もが、それぞれの人生を語るのは正直いって退屈する、そんな悩みや愚痴を聞きに来た訳じゃない。そこのところが何とかならないかと、少々眠くなってきたことも事実だった。そして、男女が一緒に走るのは条件が違うのじゃないのかなどと意地悪く考えていた。