ちゃっかり八兵衛

観劇日時/16.12.3 17:00~19:00
上演団体名/コンカリーニョ満10歳記念プロデュース公演
公演回数/第3弾
共催/公益財団法人 北海道文化財団

作/マキノノゾミ  演出/南参  プロデユーサー/斎藤ちず
照明/高橋正和  音響/大江芳樹
衣装/佐々木青  衣装進行/徳村あらき
舞台美術/福田舞台  舞台監督/高橋詳幸
舞台監督助手/米澤春花
人物イラスト/みつを  映像操作/伊勢川明久
宣伝美術/小島達子
宣伝写真/奥山奈々  制作/藤谷真由美

劇場名/コンカリーニョ

出演者/居残り八兵衛=小林エレキ
取り立て屋季里=榮田佳子
大石内倉助=棚田満
大石主税=佐久間泉真(W=若月篤廓

主人の幸兵衛  俳諧師の老人 
目明しの寅蔵親分 旅人姿の白髪老人
=長流3平

板前の新吉 太鼓持ちの一八 盗賊真田小僧
 左官の金太郎  白髪の老人の供A
=明逸人

貸本屋の金次 丹波屋の若旦那 遊女おそめ 
与太左衛門 大工の熊五郎
白髪の老人の供B
=深浦佑太

落語は業の肯定=立川談志

人気抜群の古典落語『居残り佐平治』のストーリィをメインに、数々の落語ネタを入れ混ぜたエンターテインメント・コメディとでもいうのか。
古典落語には、いわゆる滑稽噺という短編と、人情噺という長編がある。「落語は業の肯定である」という立川談志の有名な定義があるが、滑稽噺は、欲と自己中心に溺れる業の弱さを、観客自身にも確かに「自分もそうだよな」と思って笑って許し同情するところに滑稽噺の芯がある。
人情噺だって基本は人情の厚さだけど『芝浜』は酒で身上を潰す夫とそれを許して共に励む妻の話だし、『文七元結』は博打で身を滅ぼした父親を自分の体を売って助ける娘の話だから、人情噺といってもいずれも業でにっちもさっちもいかなくなった男の話だけど、それを聞く人が自分自身を振り返って笑って許すということだから、そこに自分に即した業を感じさせる落語の面白さがある。
ところが何故か今日の舞台には、人間の弱みであるその業を曝け出し、その肯定という観客自身との共感を訴える力が見えにくいような気がする。舞台は丁寧にしかも軽く出来ているから確かに愉快で良く出来たコメディなのだが、軽くトントンと行き過ぎてしまったのだろうか、落語にある業の重さと、それが観客である僕自身に跳ね返ってくる強さが薄かったような気がする。
所詮「落語」と「コメディ」は別の物なのだろうか?