糜 爛

観劇日時/16.10.12 20:00~21:20
劇団名/シアター・ラグ・203

作・演出/村松幹男  音楽/今井大蛇丸  
音響オペレーター/久保田さゆり 
照明オペレーター/平井伸之  着付協力/長田紀子

劇場名/ラグリグラ劇場

出演/瀬戸睦代

初演初日の観劇記から

完成された舞台なのか、これ以上発展の可能性がないのか? いづれにしろ出来上がった作品のように思う。この上は、別の演技者によって再演して欲しいと願う。するとどんな現象が起きるのだろうか?
なお『糜爛』過去5度の観劇による具体的な内容と感想記は、本誌54号の第5回目の観劇記に紹介しています。その中から初演初日の観劇記を紹介します。

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殺さなければ殺される~一人の女の戦後昭和史

敗戦直前の片田舎、その街に住むある娘がその田舎街の商家に見初められて嫁ぐが、半月も経たぬうちに夫・アキヨシは召集され、婚家で密かに暮らしている中に一年後に敗戦となり、夫は戦死と通告される。
夫の兄はノモンハン事件で戦死し次男は病死、後を継ぐはずだった三男の夫も戦死したために婚家の両親はたった一人の娘を一番番頭と娶わせこの商家を継ぐ準備をして、この未亡人は孤立する。彼女に好意を寄せる資産家の病弱の男・サトルと密会するが、彼は彼女を本当に愛しているわけじゃない。そんな中に死んだはずの夫がヒロポン中毒の身で帰ってくる。当時ヒロポンは禁制の薬品ではなく疲労回復の妙薬として珍重されていたのだ。
喜ぶ身内たち。だが彼女は、サトルとの密会の場所に密かに付けて来た夫アキヨシが嫉妬して弱いサトルの首を絞めるので、ヒロポン中毒で力のない夫・アキヨシを強い意志で撲殺する。殺した彼女は右手の震えが止まらない。視ていた彼・サトルは「あんたは悪くない」と弱々しく言い続ける。そこで開き直った彼女は、殺した夫・アキヨシを彼・サトルと協力して古井戸に投げ込む。身内たちは、戦地で苦労した夫・アキヨシは解放された感覚で放浪しているのだろうと行方不明を詮索しなかった。
夫殺害の犯行が露見するのを恐れた彼女は、一緒に居た彼・サトルも抹殺する決意をする。彼女の家の女中だった素朴な少女に依頼し、当時は貴重だった白砂糖にヒロポンを混入し少なからぬ金銭と一緒に渡して男・サトルを呼び出させる。少女は男・サトルの傍で意識を失う。まんまと二人を抹殺した彼女は、その後も不審火に見せかけて義父母を焼死させたとき彼女に親切だった女中も巻き込んでしまう。
つまり「殺さなければ殺される」という乱世を生きる手段でしぶとく生き延びる。その信念の良し悪しの評価以前の生きる基準が昭和史と連結して描かれるのだ。まさに昭和史を一人の女性の個人史に置き換えた物語なのだ。このまったくオリジナルな物語にストーリイテイラーとしての手腕に敬服する。
昭和史は「殺さなければ殺される」を水面下の合言葉に行った殺戮の歴史であり、この舞台はそれを個人の歴史として圧縮したのだろうが、そのテーマは残念ながら現在も通用している。もしかして人間が生きる限りの動物的本能としての根本原理かも知れない。人はどうやってその根本原理を乗り越えて行くかが人間として生きる基本原理になるのかもしれない。
一人芝居としての問題、つまり心情告白と状況説明が、特に前半で多かったのだが、一人の女性の続ける行為が歴史の必然と同時進行する展開は緊張感あふれる演劇的刺激の大きさを感じさせた。
一人芝居の表現の長所を演出で生かし、さらに、彼女が意外に多額の手切れ金を手に婚家を出奔して東京に移り「殺さなければ殺される」を実践した次の時代が予告編のように演じられたが、その部分を「第二部」として創り直したらどうなるだろうかと期待が大きく膨らんだ舞台であった。
(15年12月16日『続・観劇片々』第51号より)