夢公演
あなたへのラブレター ~つなぐ言葉と想い~

観劇日時/16.10.9 14:00~15:10
主催/NPO法人 アートステージ空知 夢プロジェクト実行委員会
共催/深川デイプレイスふれあいの家

作・演出/(演出家メッセージ)として
黒田百合・三井恵子・市川幸子の3人が連名
その他、22人の実行委員

劇場名/深川市 文化交流ホール「み・らい」

出演者/身体にも知的にも様々な障がいを持った人たち34人
+サポーター17人

「宝石泥棒からの予告状」
中川論・小林一英・佐々木美奈子・岡部京子・上田愉美子
小林敬吾・村田学・浅田誠司・中川清教・林優子・羽生早津紀・伊藤美里
疋田香織・小泉侑理乃・渡邊佳奈・松下真夕

「同好会からの脱却」
黒瀬ひとみ・横山明彦・米野和浩・吉田理沙
岡部亮兵・舘下智哉・中山健太・佐藤新太郎・坂本勇・柴田公昭・吉江敦子
金川ひとみ・名古屋君代・清水達朗・菊池睦美・初田勇

「商店街を守れ」
坂上一夫・松岡達哉・長谷川みのり・齋藤美名・藤原つむぎ
阿部芳美・小林裕希・霜山英士・松本奈津美・佐野季里・岩谷怜・小田吏恵
  大廣俊一郎・舘下仁美・菊地真弓・佐藤優奈・相馬洋子・市川幸子

障がい者たちの創った演劇

25人のスタッフを含めて総勢76人が協力して、僕が良く言う「演劇を道具に使って自分を表現する」舞台を創ったのである。三つのいわゆる「短編喜劇」を一生懸命にしかも見事に演じたから500人以上は観ていたと思われる観客も大笑いの連続で大成功だった。
開幕トップに、全盲の若い女性が真っ白なドレスで二人のサポーターにリードされながら舞台いっぱいを駆け踊ったが、彼女は日常的には前屈みに歩いているということを新聞報道で知っていた僕は、この駆け踊る女性を観ていて嬉しくて涙が出た。

          ☆

「宝石泥棒からの予告状」襲撃を予告された宝石店からの急報で警備していた警官隊の所へ、警視庁警視に変装した強盗団が、後を引き受けるからと警官隊に退去を命じて宝石を全部盗んでいった。ところがそれは宝石店が取り替えた偽物だった。 

「商店街を守れ」不振の商店街を買収して巨大ビル建設を目論む富豪婦人に、拒否する店主たち店員たち。ところが正義感の強い富豪メンバーの一人が反乱して富豪婦人の目論みは脆くも潰える。

「同好会からの脱却」人数不足で「部」に昇格できず、部室はなく予算も貰えず困った高校のカラオケ同好会とゲーム同好会が、別のサークルの異性たちにラブレターを貰っていたのを思い出し、弱みを持ったその生徒たちを引き抜きぬいて所属人数が揃って「部」になる。一人になったアニメ・サークルの会長は三つを合同して大きな「部」にしようとする。

          ☆

そして三つの短編喜劇のつなぎには、出演者の一人一人が、それぞれが持っている大事なものを読み上げたのだが、ほとんどは「家族」と、「仲間たちのいる、ふれあいの家」だったが、中には「好きな食べ物」とか、「好きなCD」、「お金」、などと笑わせる人もいて頬笑ましい。
演劇がこのように使われて、しかも演劇の作品としても一応の面白さを創り上げたのは大成功だと思える。演劇は一人では創れない。一人芝居でも大勢のスタッフの協力があってこそ出来るのだ。特に今回は34人の障がい者に、スタッフ・キャストの合計45人の人たちが協力しているのだ。
ただスタッフ・キャスト一人一人それぞれの担当部署や役名が記載されていないのが不思議だった。その責任をはっきりと公表すべきだろうと思う。
それとタイトルの「夢公演・あなたへのラブレター ~つなぐ言葉と想い~」という語句が情緒的でセンチメンタル過ぎて自己満足のような気恥かしいようなのが気になった。
それに開演前に偉い人が3人も挨拶をしたのが一番気に障った。観客はそれを聞きに来た訳じゃない。代表して施設の所長さんが一言謝辞を述べればよいと思う。自己宣伝がこの場に似合わず見苦しかった。

          ☆

新篠津高等養護学校演劇部の舞台作品が、高文連石狩支部の演劇発表会で最優秀賞を受けたというニュースが、北海道新聞の10月27日夕刊に写真入りで大きく報道された。
「知的障がいのある生徒たちが文化祭で、宮澤賢治の『どんぐりと山猫』を演じることで自らの障がいを受け入れ、成長していく姿を描いた。」というのである。
これを読んで驚いた。障がいを普通に受け入れて、普通の演劇を創ろうとしている所に感動したのだ。深川の「夢公演」は、どうしても障がい者を特別な存在として扱っていたような気がする。
それに対して新篠津高等養護学校の演劇は普通の演劇を創ろうとしているような気がする。もちろん障がい者に対する偏見や差別への対応の問題も扱っているのだが、それを主題にしていないようで、この生徒たちの演劇創造の過程で葛藤しながら成長していく一種の青春期成長の記録としての舞台なのだ。そして一般の高文連の大会に出て最優秀賞を得たのはそれだけの表現力があったと言うことなのだ。
「夢公演」の舞台は、上演されたその演劇の内容よりも障がい者が演劇に取り組む第一歩であったという印象が強い。将来的には障がいそのものを強調するのではなく、障がい者も普通の舞台で一緒に演劇を創るようになれれば良いと思うのだ。
現に「夢公演」の出演者の中には、僕たちの創る普通の演劇に普通に出演していた人もいるのだ。恐らく障がいの軽度・強度の違いはあるのかもしれないが、それに応じた参加の仕方はあるのだろうと思われる。