寿 歌

観劇日時/16.9.2 14:00~15:15
劇団名/座・れら×H114

作/北村想  演出/村上友大  演出協力/鈴木喜三夫
舞台監督/勝見慧  舞台美術/徳山まり奈
照明/山本雄飛  音響/渥美光
映像/南怜花  小道具/ペコ  楽曲/山﨑耕佑
制作/蝦名里美・はまだなつこ
宣伝美術/山本眞綾
協力/塩俵昇大・金子舞香・小島拓也・高橋正和・三木美智代
製作/座・れら  企画/H114

劇場名/シアターZOO

出演/ゲサク=倖田直機  キョウコ=山木眞綾  ヤスオ=村上友大

この戯曲に取り組んだ意義を評価する

 今日のこの舞台は、まずこの戯曲の基本である核戦争後の殺伐とした虚無的な荒涼感が薄いこと、次にゲサクとキョウコの虚無を通り越した軽味がなく、絶叫調の台詞、力一杯の動きなどに若さを感じるが、この二人がこの場所に存在する必然性が感じられない。違和感が強いのだ。
 つまり若い人たちの最終戦争に対する想い違いがあるのか、あるいは、この存在が若さなのか? ともあれ、この戯曲に取り組んだ意気には意義が大きいとは思う。

          ☆

 北村想の名作『寿歌』は加藤健一事務所が1981年に初演してから実に多くの劇団が上演している。僕はそのうちの5つの舞台を観ているのだが、その観劇当時に書いた文章を紹介したいと思う。
 加藤健一事務所は1981年から毎年4年間の上演、その後1986、1988年と合計6回の上演をしている(劇団のホームページ参照)。僕はそのうちのどれかを観ているのだが残念ながら、その観劇の記録は全く無い。でも、この時に観た『寿歌』は以来、僕の『寿歌』の原点となっていて、それは2回目の観劇感想記に伺われる。

第1回目 「NO presents」96年12月 観劇感想記の前半部分
以前に観た、加藤健一が演出・主演の『寿歌』は、世紀末的な核戦争の脅威のお先真っ暗な現状を、乾いた笑いで笑い飛ばす強靭な神経と健康的な力技。爆笑・哄笑の連続のあとのラストシーン、二人から去って行った若い男にキリストのイメージを重ね、残った二人が聖地モヘンジョダロを目指して歩き出すと、大雪が降ってきて〝この日、世界は大雪だった〟というナレーションが入る。そのころハルマゲドン後の世界を絶望的に想像するSFが大流行していた……しかしこの加藤健一の演ずる旅芸人の男の楽天性と強靭な精神、そして真っ白に清浄化された世界の幻覚に僕は涙を流した記憶がある。

第2回 前記文章の後半部 この日に観た「NO presents」の感想
 ネチネチ漫才をカラッとやるから面白いのに、ネチネチをその通りねばっこくネチネチとやるので、かったるくて退屈でちっとも面白くない。ナチュラルな演技を努力してやろうとしているのが見え見えのゲサクと、わざとらしく誇張した演技のヤスが水と油で気になる。変に気取ってわざとらしくやるから変になる。例えば新しい衣装に継布をアップリケのように縫い付けて、この衣装は汚れたボロ衣装ですよと、わざとらしくて白ける。
「観劇片々」旧・第1号掲載より抜粋・要約。

第3回目 プロジェクト・ナビ 98年11月 劇場名/新国立劇場 演出/北村想  
 人類史の中の一つの悲劇とその再生の物語として永遠の命を持つ。ゲサク(=中原和宏)とキョウコ(=佳橋かこ)の掛け合い漫才の乾いた面白さと、途中参加のヤスオ(=久川徳明)は多分キリストを暗示して、付かず離れずの位置を保ちつつ、最後は去って行く。それぞれのアンサンブルとそれぞれの位置の確実な存在。そしてラストの清純を象徴する大雪。今日的な視点を持った、揺るぎない名作の生き生きとした舞台(要約)。
「観劇片々 第3号」

第4回目 旭川ステージワーク 02年9月 劇場名/シアター・コア
演出/伊藤裕幸

 「思い入れの大きすぎた重い芝居」と題した、その感想。
 思えば、この芝居を最初に観たのは、もう20年以上も前、加藤健一の劇団であった。その時の衝撃は今も忘れない。馬鹿々々しくもナンセンスでありながら、最後の、一切を清め尽くすようなシーンには、不覚にも涙さえ出たのを覚えている。
 さて今回のこの舞台、僕にはそんな思い入れがあるせいか、とても辛い気持ちで観てしまった。決して悪い出来じゃない。今までに何本か観た『寿歌』にはとんでもない変な舞台が結構あったから、ステージワークの舞台は一応安心して観ていられた。だが、やはり不満は残る。感銘の強かった舞台は幻の舞台として永久欠番にしておいた方がよいのかもしれない。
 不満の第一は、重さである。ほとんど全編がナンセンスにぶっ飛ばす感覚がほしかったのだが、この舞台は思い入れが強いのか、慎重な運びが舞台を重くした。説明過剰になった感がある。ほんの僅かな差だと思うのだが、思い切った飛翔が欲しかった。全編を通した軽さがなければ、このほとんど笑い話にしか表現しようがない終末観的状況を乗り切ってラストシーンへと向う悲壮なまでの再生への燭光と清涼感とが効かない。
 第二は、荒野の荒涼感の不足である。この芝居の舞台は第三次世界大戦後の焼け野原に狂ったコンピュータが打ち出す核爆弾が炸裂する、という背景で演じられる。だからその荒涼たる焼け野原が舞台に再現されないと著しく興趣を損なう。確かにこの狭いシアター・コアの舞台にその情景を再現するのは至難の技である。しかしその第一条件がクリアされないと、この芝居はそもそも成り立たない。
 TPSが上演した『戦場のピクニック』はあの狭いタッパの低いスタジオで見事に荒涼たる戦場を表現した。何のことはない、方5㍍ほどの、つまり10畳間ほどの台を造って戦場をそこに「閉じ込めて」しまったのである。荒涼たる戦場を一種の抽象化された空間として成立させたのである。
 加藤事務所の舞台をはじめ、今まで見た『寿歌』の舞台はいずれも何らかの形で、装置と照明の技術を駆使して、荒野のリアリティの再現に苦慮していた。今日の舞台も基本的にはその線で創っているが、残念ながらミサイルの乱れ飛び交う空間的な広がりは無理であった。
 しかしそのことは決定的なマイナスではない。ナンセンスなテイストが基本のこの芝居に、思想的重さを持ち込まざるを得なかった創り方に力負けした舞台だったと言えるのである。
「続・観劇片々」第1号より全文。

第5回目 東京乾電池 13年3月 劇場名/シアターZOO 演出/柄本明
 かつて観た『寿歌』の舞台はいずれも、真面目で硬い一種の教訓劇みたいな出来であった。それから見ると今日の『寿歌』は、まるで違う戯曲のような感じで観ていた。何か本にたくさんの手を入れたのかとさえ思って観ていた。
 核戦争後の、狂ったコンピュータが打ち出す核爆発の銃撃が炸裂する荒野を流離う旅芸人のゲサク(=西本竜樹)とキョウコ(=角替和枝)、彼らは全く絶望的な旅の中でも少しも悲観していない。暢気に能天気にバカな掛け合いをしながらむしろこの何もない旅を、次の街を目指して楽しんでいるかのようだ。そこへヤスオ(=柄本明)と名乗る、これもボロを纏った旅の僧らしき人物が連れになる。
 この展開は、核戦争が意味する人類の絶滅を暗示しているから、その観方で演劇界に衝撃を与え、様々な舞台が試みられた。
 だが、今日の舞台を観て逆に衝撃的だったのは、そういう現実の中で、この3人はアッケラカンと絶望的な日々を楽しんでいる。それが人間の本質だとでも言うように……
 そしてラストは折しも降ってきた雪が放射能を含んでいるにも関わらず掌の中で溶けて行くことに命を感じて狂喜するのだ。気が付くと道連れのヤスオはいつの間にか居なくなり、降りしきる雪の中に「その日、世界は雪。地球すべて雪。この日より氷河期始まる」の字幕が映し出され、高度成長期の喜びをいっぱいに表したザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』の曲が会場一杯に響き渡る。
 13年3月27日の北海道新聞に方波見康雄氏の「いのちのメッセージ」という文章の中に、「ひたひたと闇せまるとき自らの放つ真白きものあり光(松村由利子)。闇とは、人間の深い悲しみや絶望を意味する。その闇を経験したとき、人は自分の中にある何かがおのずと輝きだす。それが「光」ということになる。」と書かれていた。
「続・観劇片々 第40号」


以上が僕の『寿歌』に捧げるオマージュです。