ただの自転車屋

観劇日時/16.8.8 14:00~15:25
劇団名/東京乾電池
公演形態/劇団東京乾電池 創立40周年記念公演

作/北村想 新作描き下ろし
演出/柄本明
舞台監督/戸辺俊介  照明/日高勝彦
音響/原島正治  舞台美術/柄本明
衣装/角替和枝  写真/白鳥真太郎
主催/公益財団法人 北海道演劇財団・北海道新聞社
協力/ノックアウト・KKダブルス
制作/劇団東京乾電池

 劇場名/シアターZOO

身の回りに起きているかもしれない見えない恐怖

 北村想といえば、何と言っても、まず『寿歌』を思い出す。35年ほど前に発表され、その後『寿歌西へ』など、改編というか続編と言うかが何度か発表されたが、とにかく僕の中では初演とその後に加藤健一事務所公演で観た印象が強く、それだけが北村想の唯一の存在である様な気がしている。
 そしてこの9月に札幌の「座・れら」がまさに久しぶりに『寿歌』を上演するというニュースを聞いたが、その矢先の、北村想の最新作である。しかも「東京乾電池」の上演である。大きな期待をもって客席に座った。
 話は、映画監督の伊丹久作(=綾田俊樹)と脚本家の能登寛(=ベンガル)が俳優の鶏乃新(山地健仁)と一緒にいわゆる缶詰で新作映画のシナリオを創るために離島に民宿することになったのだが、来る早々にこの猛暑の中でエアコンが故障して、この島には電気屋さんが居ないので急遽、自転車屋さんの藤村大造(=柄本明)が呼ばれて来る。
 藤村大造さんは専門家じゃないので良く分からない。でも商売上分からないとは言えないので、何とか間を持たせようとする。伊丹久作たちはひたすら暑いから、とにかく何が何でも早く直して欲しい。
 全編が、その無駄で先行きのない応答だけが延々と続けられる。とにかく専門家が居ないのだから打つ手がない。何故か宿の人も居ないようなのだ。電話も繋がらないしこの民宿は島の中でも孤立しているらしい。ビールも冷えていない生ぬるい……
 絶望的な環境の中で、どうすることも出来ず、それでも諦めず、何とかなる、何とかする、という当てのないやり取りが微苦笑を誘って80分以上も延々と続けられるが、それは決して退屈だったり無意味だったりしているわけじゃない。
 馬鹿馬鹿しさに大笑いしながら、もしこれが観客自身の現実の問題だったら、どうするんだろう? と微かに心配してみたりする。そうなのだ、この展開は象徴的だが現在の私たちの身の回りにも起きているかも知れない気づきにくい恐怖の前触れなのかも知れない。簡単に笑って見逃す場合じゃないのかも知れない。
 一瞬の大雷雨、停電、真っ暗の中の豪雨、そして気が付くと、4人は何事もなくキョトンとしてエアコンが直るのを待っていた……
 『寿歌』が地球絶滅の予感に対する希望的生き方だとしたら、『ただの自転車屋』は常に身の回りにある危険を感じる不安に対する一つの生き方であろうか。
この舞台を観ていて強烈に思いだした事がある。3年ほど前の2月、その日は猛烈に寒い日だった。
 僕が午前中に居間の食卓で新聞を読んでいると突然に停電になり、照明が消え、TVも消えた。そしてストーブも消えたのだ。11時ちょっと過ぎくらいだったが、ストーブが消えると急激に寒くなる。
 5分も経たないうちにオーバーを着て、とりあえず家電話は使えないから携帯で電力会社に問い合わせをしようとするのだが、何度かけてもズーッと話中で繋がらない、電話帳を調べると「緊急停電状況お知らせ番号」というのがあったので電話すると何度かけても録音で「ただ今調査中」としか言わないのだ。この番号の正式名称はうろ覚えなので、いま確認したけれども、現在の電話番号帳には載っていないようだ。
 20分が経ち、もう待てないほど寒くなってきて、さてどこへ避難しようかと具体的に考え出した時にあっさり通電された。
 これが真夜中だったら気が付かない中に凍え死んで居たかもしれないのだ。真夏の孤島の民宿のクーラー故障では笑って遊んで居られるかも知れないが、厳寒地で真冬の真夜中の停電は、まさに命に直面するのだ。この舞台でそのことを改めて確認させられたのだった。