そして誰もいなくなった

観劇日時/16.8.7 18:00~20:00
劇団名/ELEVEN NINES presents dEBoo
公演回数/#2

原作/アガサ・クリスティ  訳(戯曲版)/福田逸
翻案・演出/納谷真大
照明/上村範康  音響/奥山奈々  舞台美術/高村由紀子
舞台監督/上田知  衣装/アキヨ  ヘアメイク/上總真奈
デジタルコラージュ・宣伝写真撮影/クスミエリカ
映像/古跡哲平
制作/澤田未来・廣瀬詩映莉・菊地颯平・
南怜花・佐藤紫穂・ウメツケンイチ・
金子唯・小森春乃
プロデューサー/小島達子  
ゼネラルマネージャ/カジタシノブ
企画・制作/ELEVEN NINES

劇場名/琴似・コンカリーニョ

出演者/鴻池雅彦(財閥の子息)=熊谷嶺
小田島菊江(使用人)=中塚有里
三國喜十郎(元・陸軍大佐)=すがの公
小田島章介(使用人)=藤本道
相楽登紀子(元・華族の夫人)=大橋千絵
橘直将(医師)=江田由紀浩
黒川重吉(元・警部)=納谷真大
冲数馬(元・陸軍軍人)=明逸人
佐竹衛(裁判官)=京極祐輔
水原小夜子(家庭教師・秘書)=榮田佳子
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船島直吉(漁師)=倖田直機
    謎の声/久保隆徳

過去の生き方を顧みて無言の恐怖に打ち震える

 これは世界中に知られている高名な物語だから、ここでその物語の説明はしない。一言でいえば、死の訪れを自覚せざるを得なかった人たちの、その最後の心情を、どう持ち得るのかを検証する物語とでも言おうか。
 人は皆、生きるためには多かれ少なかれ他人を犠牲にせざるをえなかったのではないのだろうか。自分自身は意識しなくても、また自分に悪意はまったく無かったと思いたくても、他人の犠牲の上に、その後の自分の人生があったことを完全に否定が出来るのだろうか。
 おそらくその視点に立ってこの原作の話は創られている。それを生身の人間がやり取りするのは、それが舞台上とはいえ、物凄いリアリティがある。普段の舞台で観慣れた俳優さんたちが、この舞台ではまるで見知らぬ実在の人物として、今を生きていくことに何か必死になっている。その凄さに圧倒される。
 僕自身も80年の人生の汚点を指摘されて、この島に招待されたとしたら、自分は他人を死に追い込んだ自覚は無いけれども、ひたすら無言の恐怖に打ち震えるしかないであろう。そういう過去を思わない人は居るだろうか?……

 物語上に様々な制約があるようで、それを正当化するためだと思うけれど、時代背景を1920年代の日本に取っている。だから少し時代錯誤的な雰囲気も感じるのだが、でもそれは決してリアリティを損なうものではない。時代を超越した、あり得る恐怖に衝撃を受けるのだ。