「鳥」という話は、「紀元前の東ヨーロッパ人トラキア王テーレウスの鳥ヤツガシラの森のすみかに、裁判に嫌気がさしたアテナイ人エウエルピデース(「楽観的な」という意味の語)とペイセタイロス(「仲間を説得した者」の意)の二人が尋ね、風刺的な物語が展開される。題名は、24種類の鳥から成るコロス(合唱隊)にちなむ。」と、ある解説に書いてあった。つまり一種の風刺的な神話であろうか。
人間世界の息苦しさから逃げ出した二人の男・ペイセタイロス(=彦素由幸)とエウエルピデース(=佐藤健一)とが、鳥の世界で自由な王国を創り豊かな生活を送ろうとするが必ずしも思い通りにはならない。人間の世界から噂を聞き付けて次から次へとカネ目当てに取り入ろうとする怪しいヤツらを次々と追い払う。それだけに忙殺されてしまう。
理想の世界を創ろうとしても、鳥たちにだって都合のいい欲望や思い入れや思い込みもあって、そうそう予定通りには行かないのは人間世界と大差はない。だから必ずしもハッピイエンドにはならないのだが、だからと言って虚構が壊れたわけでもない。微かな希望を残して、ペイセタイロスは素敵な女性の相手を得たのか得られなかったのか、曖昧の中に、何もなくなった虚空に浮かんで危なっかしくも揺れて漂流する。
物語といいその構想といい壮大で含むところも大きく、恐らく現実の人間社会に対する大きなアイロニーを諧謔的に表現したかったのだろうと予想していた。
だが、その意図は最後まで判然とは見えず、観ている方が何とか解釈しようと焦っているみたいな気持ちだ。
観劇前に写真で見た舞台装置は宇宙空間に浮かぶ壮大なイメージで期待が大きかったのだが、実際の舞台で観るとなんともせせこましく、大きな模型の組み立て作品みたいな気がする。特にラストに芝居の流れの中で解体されて行くのを眼前に見ていると、何となく感じていていた模型っぽい舞台が、ホントに組み立て式の玩具に見えてさすがに大きく幻滅してしまう。
鳥たちの造形も、腕や脚やお尻にまで羽をつけて色々と工夫をしているのだが、何とも如何にも作り物っぽく象徴的とは感じ難い。もともと沢則行さんの造形作品は、以前に最初に観た時から大袈裟で人工的で、それが特徴で東欧風なのかもしれないが、僕は好きにはなれなかったのだが……やはりと言うか今日も同じように感じ、それを覆すことはできなかった。
音楽だけがこの物語の展開に上手くマッチして、マンガチックではあるが、物語のテンションアップにとても力強く後押ししているのが快感となる。
全体に極論すれば、巨大なママゴト遊びみたいな感じがして、ちょっと期待外れだったが、それがこの舞台の意識的で喜劇的な表現だったのだろうかとも思う。
その他の出演者=斎藤歩・高子未来・市川薫・由村鯨太・成田愛花・熊木志保
東海林靖志 |