『螺鈿の宝石箱』 シアター・ラグ・203

2016年3月30日公演の感想     細 川 泰 稔

 

① 女A、女Bの意味
登場人物は女Aと女B。2人は同居している。恋愛体験、日常生活、会社(仕事)などの会話を通して仲良さと、それぞれの人生が浮き彫りにされていく。女Aは、これまでの人生から深い心の傷を負っており、これからの歩み方を省察している。女Bは現在、進行する恋愛に心踊らせている。
2人とも仕事は出来るし、友人とのつき合いも悪くない。自分の個性もきちっと持っている。ただ自分の行く末に不安感と孤立感を漂わせている。2人の相違は勿論あるものの性格的に相似していることをうかがわせる。このため同一人物の裏と表、過去と現在を演じているようにもみえる。しかし、二人の共通性が演技に安定感をもたらし芝居全体が連続的に推移していた。

② 男性の存在
ところで女Bの恋愛対象の男性の存在が気にかかる。印象からすると、女Bに思いやりがあり、やさしい男性のようだ。しかし登場しないことでどういう意味があるのだろうと考えてしまう。この2人の関係は現在進行形だから、ちょっとしたブレがあったり、不安もつのる。その不安が登場しないということの意味なのか。あるいは女Bにとって男性は理想の男性なのか。理想と現実の実像にとまどっているのだろうか。理想の「幻影」として登場しないという意味だろうか。
一方、男性の側からみると、男性の本性は「やさしさ」だけではないことを隠しているから登場できないということか。あるいはすでに登場しているのかもしれない。観客席の男A、男B……として。「幻影」の存在としてでなく、まだ見ぬ男性への恋愛関係が進展してほしいものだ。その時、男性の実像も明瞭になるだろう。

③ 背景としての現在
この芝居は、女性の恋愛が前面に押し出されているが、女性・男性含めて現在の人間関係、それらを取り巻く社会的な問題が深く横たわっている気がする。
現在の日本は新自由主義的経済と情報化社会の中で、人口減少と高齢化現象を迎え、国際的にも国内的にもどのような展望を持って進んでいくのかで課題を抱えている。経済・表現・研究分野などで活路を拓いている人材を輩出しているものの、多くの領域でひずみ、不安、閉塞感が露出している。
芝居の中でも登場人物の背景に、こうした日本の現実が横たわる。しかし、女A、女Bは生きることに一生懸命だ。その一生懸命さは、多くの日本人に共有の性格だ。その一生懸命、生きている人間が生きづらい局面を迎えるなら、自らが受けとめて打開していかなければならない。

④ 本当の幸せ
人間が一生懸命生きていくということは、本当の幸せを求めて生きていくことにつながる。まず個人として立つべきだ。助けられている中で、思いあがらず、ありのままに生きていくためにどうしたらいいか。個人が生まれ、これまでの日常生活の中での喜び、悲しみ、怒りの中から導き出した自分本来の生き方を考えること。それは小さいことでもいいから具体的に実行していくこと。
芝居のラストで、女Aが一生懸命生き、体験してきたことは、自分の道である。もとの場所にかえることができず、「死」の世界に入ったとしても、「死後」の様相(顔)は、ほほほえんで祈っているように見えたことは一つの「希望」である。女Bの「鏡」に見せかける明るい決意の表情も一つの「希望」である。この2人が、一つになって再び一生懸命、生きていこうと再び出立することに未来がある。

⑤ 物語の発生
この芝居は再演である。私は3三回観た。(2015年2月18日、同年9月23日、そして今回)。出演者の役が変わったりしたが、今回の芝居は、劇的な流れが一定していた。これは、芝居が一つの物語として成立していることを示している。これまでの芝居では、個人の出演者の存在の意味に気を引かれたり、不透明であったものが、何回かの再演によって、一つの流れが大きくなり、自然の形での物語として胸に響いてくる。場面・部分での強烈さで魅み込まれていたものが、一本の筋が通った物語として構成されている。
人間にとって絶望だけの人生はないし、希望だけの人生もない。この交差の中で人生があるということ。女A、女Bは自分の人生を本気でつかもうとしていることが、物語としてじっくり伝わってくる。

⑥ 同行の生き方
人間は一人で生きているのではない。個人にしても、その個人が存在することは両親(男性と女性)が関係したことを意味するし、人類、それ以前の生命史を考えても、一人で生きているつもりでも他人との関係の中で生きているし、生きてきた。現実的に社会生活の中でもそれを実感する。
この芝居においても女Aは女Bの心の中でともに生きていく。女Bは女Aの意味を背負って生きていく。だから一人であっても、他者との出会い=縁があって生きていく。それだけでなく、偶然か必然かにかかわらず、同行する時、人生の意味がある。個人の持っている人生体験の中の喜び、痛み、悲しみ、そして屈辱を他者と共有しえたことで同行することができよう。その心が解かる―と思うことで、存在の有無にかかわらず同行していくことになろう。それが人間の生きる意欲を強くする。