後 記

6月の観劇数減小
6月は事情があって観劇回数が3本だけと極端に少なくなりました。観る事が出来なくて少々残念な思いもありますが、そろそろそんな年齢になって来つつあるのでしょうか。

演劇の存在理由
前号に寄稿して戴いた伊東仁慈子さんの文の中に次の言葉があります。
「演者と観客はリングの上のボクサーです。生命を削った役者と身銭を切った観客との闘いです。」
5月12日に亡くなった蜷川幸雄氏の次の言葉が、北海道新聞16年5月14日の「卓上四季」に紹介されていました。
「演劇は映画やTVとは違う。出演者と観客が息遣いを感じながら作り上げていく格闘技である」
考えてみると、僕も観劇記の中でよく似た言葉を使っている。
「舞台と客席との壁を乗り越えて取り込まれるような気分になる。」
「批評は客観を意識するけど、客観が入る余地がないくらい衝撃を受ける事がある。舞台と客席の壁がなくなるような……」

全く同じようなことを違う言葉で言っているわけです。これが演劇の存在する根本的な理由でしょうか。

人 生                            16年5月25日
ロシア文学研究者の沼野充義さんが「チエホフの作品は七分の絶望と三分の希望で出来ている(松井要約)」と言っています。勿論、人間一般のことを言っていることだけども、普通の人はこんなに極端に分かれているとは思えない。絶望とか希望とか言うよりも、むしろ妥協と惰性で生きている方が多いと言った方が現実的かもしれない。
♪ 僕の人生五割は挫折 あとの四割妥協で生きて 残る一割希望だけれど その一割が真の人生 ♪ それから僕はこのような戯れ唄を唱えている。
最近、「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットでみれば喜劇」と、かのチャップリンが言ったということを知った。
僕は「クローズアップで見れば喜劇、ロングショットでみれば悲劇」と逆に思っていたが、最近は「超ロングでみれば喜劇と悲劇」と言い足したい心境だ。