観劇日時/16.6.22 20:00~21:20
作・演出/村松幹男 音楽/今井大蛇丸
音響オペ/瀬戸睦代 照明オペ/久保田さゆり

新しい発見

この舞台は先月5月にも観て、この号の13ページにその物語が書いてあるので、それを参照してください。今日は、その時に気が付かなかった2点に関して書こうと思う。この舞台の本質であるホセ・ムヒカさんの信条にマッチするその真意は変わらないと思うのだが。
さて第一の点、前回では分からなかった姫の位置だ。彼女は実は安夫には安夫の心の奥にある奈津美の裏側なのではないだろうか? そして奈津美にとっても奈津美の心の深奥にある自覚出来ない自分の再現なのではないだろうか?
つまり姫とは、奈津美にとっても安夫にとっても実は奈津美の心の裏側ではないのだろうか? と思う。それをエンターテインメントとして象徴的に描いたのではないのだろうか?
そして第二、昨21日の午後、現実に釧路で防ぎようのない暴発刺傷事件が発生した。まさに刺身包丁を使って男が4人の女性を刺傷死させたのだ。この白昼夢のような狂気の事件の後の観劇だったので、この奈津美の恐怖と疑惑は、前回に観たときよりも現実感が大きく、この作者の先見の明と、いつ起こるか知れない恐怖に私たちは常時、曝されているのだという現代社会の異常な狂気が露出する劇でもあるのだ。以前にも同じような秋葉原連続殺傷事件というのがあった。そしてその影響は前々作の『山がある。』にも引き継がれるのだ。『山がある。』はもっと政治的な意味合いが大きいとは思われるのだが。
以上2点に改めて深い感慨を受けたのだった。実は初演の時に『姫』は、そんなに評価できなかったような印象がある。今日観て僕の初演当時の感受性の薄さに落胆したが、逆に考えると、5月に感じたホセ・ムヒカさんとの共通点、そして今日の新発見二つと、この舞台には無限に掘ることの出来る金塊が存在するのだ。シアターラグ203の舞台はいつもそうなのだ。