地獄変

観劇日時/16.5.28  14:00~15:15
主催/札幌市民芸術祭実行委員会
主管/北海道コンテンポラリィダンス普及委員会
第1374回 札幌市民劇場 現代文学演舞

原作/芥川龍之介『地獄変』『藪の中』三島由紀夫『葵上』
振付/平原慎太郎  演出/橋口幸絵・平原慎太郎  
音楽/嵯峨治彦・小山内嵩貴  照明/菅原渉吾  
衣装/松下奈未  舞台監督/上田知
絵画/富樫幹  題字/menme    宣伝美術/yixatape

会場/浄土宗 もいわ山 観音寺 本堂

出演/平原慎太郎・浜田純平・彦素由幸・東華子・小田川奈央

演劇とダンスとの野合

芥川龍之介『地獄変』をメーンに『藪の中』と三島由紀夫『葵上』の近代短編小説を、阿弥陀仏像の御前で人間の業を曝け出すというイメージで懺悔するような舞台。
この阿弥陀仏像の御座します畳敷きの大広間に男が尋ねてくる。迎える寺の男。二人の何気ない会話から『藪の中』の世界へ入って行く。寺の男はナレーターであり、話を進める相手役でもある。そしていつの間にか『葵上』へと展開し、最後に『地獄変』の場面へと変わって行く。
ダンス自体は鋭くダイナミックでエネルギッシュに、それぞれの人物の心境を表現するのだが、それらの人物同士の葛藤というよりも、それぞれの人物の心情を説明的に描出したような印象が強く、なぜかインパクトは弱い。ちんまりと纏まってしまったような感じで圧倒的な迫力が感じられない。特に『地獄変』の激しい炎に燃え盛る狂気が無いのだ。
僕が、強烈な衝撃を受けた、田中泯や『業晒し』の工藤丈輝、そして福村まりなどに比べると鋭いが小さく纏まっているような印象が強いのは何故なんだろう。
ナレーターが入ったり台詞が交差したり、演劇っぽく創ったのが逆に説明調・解説調になったのだろうか。そういえばサブタイトルが『現代文学演舞』なのだ。
物語そのものをダンサーが役割を担って人々の葛藤や業をそのままダンスの表現で描いた方が訴求力は強かったような気がする。技術力というか表現力には圧倒されたのだが、これらの文学の持つ訴求力が弱かったような気がしてちょっと残念な感じがした。わざわざダンスと演劇が融合した相乗効果は全く感じられないのだ。