かもめ

観劇日時/16.5.21 18:00~19:50
劇団名/北翔大学短期大学部 舞台芸術2年目
上演回数/定期公演vol.23

作/アントン・パーヴロヴィチ・チエーホフ
演出/森一生(教員)
照明・音響・衣装・メイク・装置・美術・制作・宣伝美術/14名

   出演/10名+一年生11名

チエホフは現代である

チエホフって百年以上も前の人なのに、とても現代的な作家だ。チエホフの戯曲を現代に翻案しても充分以上に現代の社会に直接的な訴求力のある作品群なのだ。
今日の舞台は19世紀のロシアの現実を、そのまま舞台化したものだけれども、僕は2016年の現在、自分が暮らしている北海道深川市に翻案しながら観ていた。
今日の舞台は、20歳前後の学生が演劇の勉強の為に演じているのだから、この人生の深さを充分に表現しているとはもちろん思えない。だが、この古典的名作は人間と世界との現実を過不足なく表現しているのだから、それを若い人たちが感じて、今後の舞台表現への大きなジャンプ台になってくれれば良いなぁと思いながら観ていた。
          ☆
ロシア文学研究者の沼野充義氏は「チエホフの作品は七分の絶望と三分の希望で出来ている」と言っている。
僕は、「人生は五割挫折で、四割は妥協と惰性、残る一割が希望だけれど、その一割に生きるのが真の人生」と翻案している。現在の人間はチエホフが視たその希望をどうやって持つのだろうか?
『ワーニャ伯父』の一節に「人間が森に行き身をかがめて薪をひろうことをしなくなったことを嘆き、その怠惰と無分別の罪を指摘している」ことを紹介し「人類が薪を拾い集めるよりも石炭や石油といった化石燃料や、のちに原子力の方が効率的で便利だと気づき始め、石油争奪のための大戦争や放射能災害の時代に入った」と5月21日付の北海道新聞「朝の食卓」欄に「ゆっくり歩く」と題して書かれたのは三浦綾子文学研究家の森下辰衛さんである。
最近、チエホフに関するこの二つの言葉に出会った。いずれもチエホフは、とても時代を超越し近未来を見すえた存在なのじゃないだろうか?