消 失

観劇日時/16.4.23 18:30~20:20
劇団名/北翔大学舞台芸術4年目公演
上演回数vol.7

作/ケラリーノ・サンドロヴイッチ
演出/村松幹男 演出補/平井伸之
照明/藤原達也 音響/樋口瑠璃子 
制作/佐藤李香・黒木澪・弓場涼香

劇場名/ポルトホール

出演/チャズ・フォルティー=松永颯
スタンリー・フォルティー=小栗太良
ホワイト・スワンレイク=高橋郁也
ジャック・リント=池田拓斗
ドーネン=下川祐希
エミリア・ネハムキン=金子舞香

遠未来のペシミックなホームドラマ

作者の劇団「ナイロン100°C」の初演パンフレットと、ネットで、その紹介文を読んだ印象では具体的な内容は分からないけれども、遠未来のSFっぽい感じだったが、その紹介文が次である。
「すべてはほんの一時、やがてなにもかも、消えてなくなる――」
クリスマスパーティの飾り付けにいそしむ、チャズとスタンリーの兄弟。
弟のスタンリィーは、想いを寄せるスワンレイクに愛の告白をすべく、
手編みのセーターと特製のソースたっぷりの七面鳥を作って準備万端。
しかし、失恋の記憶しかないスタンリーは、まったく自信がなく……
SFコメディタッチで描く、愛と憎しみ、戦争と平和。
そしてこの文章は、今日の舞台の当日パンフレットにも書いてある。その初演の宣伝フライヤーを読んで得た知識と現実の舞台の感触が、人物の設定は同じなのに全く違っていて別の作品か、あるいは改訂版かと思うほどで、しばらくは訳が分からなかった。
ネットでのストーリイ紹介では、
・遠い未来、地球は〝第二の月〟を打ち上げたが、その星との交信は長く途絶えている。
・最終戦争が終わったのち、そこから再生を図ろうとする兄弟。
・怪しい人物たちが次々と登場するなか、事態は急速に悪化してゆく。
と書かれている。
 だが今日の舞台は、いきなり兄弟愛のホームドラマのような気がして混乱し、落ち着いて観ていられなかった。これはきっと大幅な改定か書き換えた別作品かも知れない。と思い込みだすと、ゆっくりと舞台に集中することが出来ないのだ。
改めて台本を読んで考えてみようと思って、さっそく上演台本を戴いて読んでみることにする。
この台本は、「ナイロン100°C」の初演と同じものなのか、僕が感じた書き換え後のものなのかは分からないが、冒頭部分は確かに中年初期に差し掛かった兄弟の純粋な愛情の仄かな微笑を湛えたコメディチックな展開になっている。この辺りは舞台とこの台本との本質的な違いは分からない。
だが、だんだん増えて行く弟の恋人・兄弟の友人・二階を間借りに来た女性・ガスの検査員などが登場すると話が複雑になって来る。なぜこの訪問者4人が必然性は薄いと思われるのに、この兄弟にお節介とも余分とも思える関わり方をするのか?
そして兄は弟に対して、この友人に依頼して弟の潜在意識を操作して弟の精神を支配しようとしているのではないのか?
このガス検査員の本意は何なのか? 管理局の役人なのか? 二階を借りに来た女性とは? 弟の恋人とは? その本性とは? 本当に弟の恋人なのか? と物語が進展するごとに疑問や不審が複雑に交錯して混乱する。
何か、遠未来における近親者さえも心の支配による相互破滅、その結果による人類絶滅を示唆するようなペシミックでニヒルな物語だが、現在の世界情勢の中での科学の発展や果てしない支配欲などから考えて、在り得ない話じゃないような気もする。
10年以上も前に初演されて未だに褪せない思いは、何だか永久に続くような気もして、観る方もコミカルでテンポの良い舞台なのに逆に意気消沈するような舞台だ。
この戯曲を読んで、やっと何とか「ナイロン100°C」と今日の北翔大学舞台芸術の舞台は同じ台本で、直結していることが判ったような気がして、かなり複雑な心境に襲われたのだった。