後 記

前号の訂正
前号・第50号のno,31『door』の二回目観劇日時が15.9.18.になっていました。第一回目は15.9.18.ですが、第二回目は15.9.19.でした。つまり18日と19日の二日間続けて観たということでした。お詫びして訂正いたします。

映画を観るということ                     15年12月6日
今朝の朝日新聞「政治断簡」という欄に編集委員の秋山訓子さんが書いている文の中から次の一文を紹介する。
= 映画『ザ・ヴアンパイア~残酷な牙を持つ少女~』の監督曰く「私は、映画は究極的には鏡のようなものと思っています。人は、自分自身の何かを映画に見る。それが、私が映画を愛する理由なのです。=

同じ戯曲の違う舞台                      15年12月末頃
最近、上演されるレパートリィが、過去作品の再演や再々演、そして古典的名作などの上演が多くなってきたような気がする。
新作戯曲に限界がきたのだろうか? 「演劇のパターンは36通りしかない」という説もあるようなのだ。
僕は演劇を創るということは戯曲を創ることが第一段階だと以前は思っていたから、過去作品や他人の戯曲を使うことは怠慢だとさえ思い込んでいた。
だが最近では、戯曲は一つの足掛かりというか設計図のようなもので、その戯曲と言う題材をいかに具体化するかが、演劇創造の一つの大きな意義だと思うようになってきたから、こういう状況も歓迎したいと思うようになってきた。
ところがそうなると、今日、観た舞台の戯曲と同じ過去作品は観たことがあるし、作品によっては一度ならず、違う劇団や団体の舞台を何度も観ていることが頻繁に起こってきた。その都度、過去の観劇記録を読み返したくなるのだが、正確な記憶が無いので一々探し出すのが大変だ。
そこで一念発起して、過去に観た作品の目録を作ろうと、やり始めたのだが、何しろデータのある15年分だけでもおそらく2.000本以上はある。それは目次をコピペして一覧表にすれば良いけど、それ以前の手書きのものも1,000本はあるだろうか? それらは一々入力し直さなければならないのだ。
それらの発表誌の山を眺めて、ため息のこの頃なのだ。

演劇雑誌『悲劇喜劇』3月号                   2016年3月
今年もまた、演劇雑誌 早川書房『悲劇喜劇』の3月号所載「55人による演劇アンケート―2015年の演劇」欄に、原健一郎さんが「D 著者 『書名』(版元)」の部に「松井哲朗『続・観劇片々 46~50』(演劇実験室シャイライサイ工房)」をご紹介してくださいました。
自分の才能の限界を知りながらも、自分のやりたいことだけを自由に勝手にやっているだけだと思っている結果を、原健太郎さんが認めて下さることに、とても元気が出て、これからもやって良いんだという強い励ましと勇気を戴いているのです。今年も進級合格だと思っています。
でもダメなときは、恐らく自分では分からないと思うので、ここがこういう理由でダメと容赦なくご指摘くださるようにお願いも改めて申し上げました。
体力が漸減するこのごろですが、演劇を観ることとお酒を飲むことにしか生きる意味が無いような僕の人生……今はそれが全ての心境です。

「コント」と「喜劇」                      2016年2月
去る1月16日の北海道新聞に僕のことが紹介された時、その中に「面白くない偶然性のない喜劇」と僕が『続・観劇片々』の中で記述していると紹介されていますが、これは僕の考える意味と逆だと思って調べてみると、『続・観劇片々』第50号24ページの中頃に「あまり面白くない偶然性の喜劇」と書いてありました。僕の書き方の説明不足が誤解の原因だったと思うので、知人たちには、その旨を弁解しましたが、よく考えると、これは「コント」と「喜劇」の違いようにも思われます。
2011年の春ごろ、このことについて劇団「シアター・ラグ・203」の村松幹男さんにお伺いしたところ、「『演劇』は、人間の心とその繋がり方(含む社会・世界)を様々な方法論で表現するが、お笑いの『コント』はそれを、主に笑いを取ることを目的に、往々にして過大に誇張して表現することが多い寸劇である。」と教えて頂きました。
この村松さんのご説明に加えて、僕は「コント」は偶然性が起こす展開や意図的に引き起こす不自然さによる笑いであり、それに対して「喜劇」は必然の展開から滲み出る食い違いが起こす笑いではないか、と思うようになりました。
だから「偶然性の喜劇」は、いわゆるコントの笑いであり「喜劇」とは言えないのだと思い、それに対して「偶然性のない喜劇」が本物の喜劇に近いのかなと思っています。
したがって、この僕の「あまり面白くない偶然性の喜劇」とは、「喜劇のはずなのにコントのようで面白くない」という意味であり、新聞の「面白くない偶然性のない喜劇」は「面白くない喜劇」となってしまい、意味が違ってしまうのでした。説明不足でした……ややこしい……