大海原にて

観劇日時/15.11.21 14:00~15:20
劇団名/札幌座

作/スワボミール・ムロジェック 翻訳/工藤幸雄
脚色・演出/弦巻啓太
ドラマツルグ/マイエル・イングリット・斎藤歩
舞台美術/高村由紀子
舞台制作/アクトコール 舞台監督/佐藤健一
照明プラン/熊倉英記 照明オペレーター/市川薫
音響プラン/弦巻啓太 音響オペレーター/深津尚美
宣伝美術/若林瑞沙 制作/松本智彦・横山勝彦
ディレクター/斎藤歩
プロデューサー/平田修二・木村典子
主催/北海道演劇財団・NPO法人札幌座クラブ

劇場名/シアターZOO

リアリティのある虚構が現実の矛盾を表す

船舶の事故に遭遇して世界と一切の連絡が取れなくなった筏で漂流する船客である3人の男(=清水友陽・町田誠也・小佐部明広)たちが、取りあえず今を生き延びるために、3人の中の誰かを食べる事が提案される。
さまざまな誤魔化しや二人ごとの密約などがあって、一人が犠牲になりそうになった時に、郵便配達人(=木村洋二)が海を泳いで手紙を届けに来たり、一人の男の家の下女(=高子未来)が来て、3人それぞれの嘘がばれそうになったりするが、それらは幻想であると処理されて、一人が人身御供になるところでカットアウト。
寓話的であるより、不条理だとか言われるが、寓話だとリアリティがあり過ぎる。例えば料理道具が揃いすぎていたり流れ着いた郵便配達人や下女や特ダネを取りに来た新聞記者(=木村洋二)が簡単に帰れるのなら救助が来てもいいはずだ。3人の中の1人がこの船のコックなら衣装が違うだろうし、この船のオーナーの伯爵が胸に花を飾っていたりする現実感。
この物語はデモクラシーや独裁のメタファーである寓話ではなく、不条理劇なのだと思う。すべてが仮想の設定であるが、リアリティのある設定が混じる方が寓話の世界よりも不条理の世界、現実の象徴として鋭く深く表現できるのだ。確かにこの舞台は違和感を持ったリアリズムなのに逆に物語の嘘を暴き出して現実を炙り出しているのだった。あらゆる人間関係の究極の問題提起である。
「しりとり」や「じゃんけん」が犠牲者を選ぶ道具として使われたのは面白い。