螺鈿の宝石箱

シアター・ラグ・203   9月23日 再演より

寄稿  細川 泰稔

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登場人物は、同居する2人の女性、女Aは失恋の痛手から立ち直ろうとしている。女Bはデートに胸をときめかして準備をしている。2人の日常の会話ははずみ仲が良い。やがて女Aは心を癒すために旅に出る。しかし旅先で突然、死を迎える。女Bにおみやげの螺鈿の宝石箱が残された。女Bはすべてを受けとめ、後日、恋の成功に向けてデートに出かける――というあらすじ。
この芝居の感想として2つの観点を考えた。一つは前半の女A、女Bの関係性であり、もう一つは後半(最後)の女A、女Bの位置づけである。

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一つめの、前半の女A、女Bの関係について。
芝居を観ていると、この2人は誰だろうかと幻想させられる。2人は仲が良く、気が合うように設定されているが、それは、1人の女性の静と動、本音と仮想、正と反、つまり表と裏の心情、性格、生き方を表現しているのではないかと感じさせる。
でも、よく考えてみると、私は、2人の女性の過去と現在――失恋し、痛手を癒そうとしている女Aを過去の姿とし、デートに胸をわくわくしている女Bを現在の姿とし、2人の時間差を現在の舞台で演じさせている気がする。しかも「恋愛」の意味を拡張して、男女の関係だけではなく、自分の歩んできた人間関係、家族、会社、日常生活での人間関係のすべてを含めた関係と、そのすれ違いを展開させているようにみえる。
このように、この芝居は2人の時間差(過去と現在)と空間的拡張(恋愛から社会的人間関係まで)を絡ませて幻想させるところが印象的だ。2人の会話が途切れた時のちょっとした「間」は微妙に揺れ動く2人の心情、行きつ戻りつの心の動きを表しているようだし、あまり周囲の音を感じさせない展開方法が関係性を浮き彫りにしているようにみえた。
こうした関係性を想像できるのは、観る者にとって、芝居の中に一体化していける感じがする。

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二つめの、最後の女A、女Bの位置づけについて。
女Aは旅に出て死ぬ。この死は一つの転回点である。最後の死んだ女Aの幻影は無言だが本心を語っているし、その後の女Bの恋愛をテコにした自立への志向が劇的に表現されているように思う。
女Aが愛読していたのは萩原朔太郎の詩集「月に吠える」である。同詩集の「序」で、萩原朔太郎は「人間は一人一人にちがった肉体と、ちがった神経とをもって居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。」に続けて、「人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。」(この部分、傍点つき)と述べている。一方、「序」の中で北原白秋は「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。」(以上、筑摩書房版)と詩集の持つ意味を記している。
この詩集は、基本的に萩原朔太郎の心の底にある「孤独」と「悲しい心」を絞り出しているようにみえる。女Aは「月に吠える」を読んでいたが、自分の恋愛や生活、人生から「孤独」や「悲しい心」を感じ取っていたのではないだろうか。おみやげに買った螺鈿の宝石箱。宝石箱に装飾された貝の数々は、長い間、広く深い海の中にいた。そんな背景の中で宝石箱に入っているのは、女Aの「孤独」や「悲しい心」であろう。しかも、女Aだけのものではない。人間の、死者たちの長い歴史の闇の中に埋め込まれた怨念に満ちた「孤独」や「悲しい心」もである。雅やかなもの、美しいものだけが宝石になるのではない。「孤独」や「悲しい心」はバネになって反転して、やさしく光り輝くから、たくましくて美しいのである。「孤独」や「悲しい心」は負の遺産ではない。過去があって未来がある。失敗があれば夢が生まれる。絶望があって希望がある。

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こうした「宝石」は必ず女Bの手許にあって、心の中の「宝もの」としてやさしく、自立した女性として生き続けるだろう。ここに、女Aが女Bの中で一体化して組み込まれ、女Bの新たな人生をともにする。劇中、時計を横にするとき、その扱いがていねいなのは、女Bが女Aの心を共有、包括し、今まで以上にしっかりとした人生を歩いていこうという再生の姿を暗示しているようにみえる。女Bはともかく、こうして女Aも女Bの中で生き続ける。
女Aの死は劇中で転回点、境界点になることを考えると、最後に見せる女Aの「幻影」、女Bの次なるデートに向かう表情は重要である。女Aの無言の「幻影」は、顔の表情、立ち姿からして「孤独」や「悲しい心」を背負った女性をしっかりと表現している。また、それを組み込んだ女Bのにこやかで、自信に満ちた表情、振るまいは「鏡」(実際にあるかどうかは別にして)に、希望ある表情として映っている。
恋愛は、人間の出会いの総称である。人間が他者なしでは生きていけない。自分の意思だけですべてが決まっているのではない。他者との関係の中で決まっていく。その他者との出会いは実は偶然であろう。しかし、それは必然かもしれない。どんな他者とめぐり合い、生きていくか。その重要さを心に沁み込ませる芝居である。