後 記
『続・観劇片々』第50号 15年9月末 世間並みにいうと、当『続・観劇片々』も、50号というメモリアルな発行を迎えました。無我夢中での50号だから何かをやろうかという気もなく、気が付いたら50号だったというのが正直なところです。 いつもいろいろとご助言を戴いている、原健太郎さんから、先日「長い文を書いたらどうか」というお話を戴きました。 そして具体的には当時、一人芝居というものについて実際の上演舞台を通して、いろいろと考えていましたが、その表現方法論を分類してその長所・短所や存在理由や存在価値などを確認することが出来るんじゃないかなどと考えていました。 それと同時に「芝居」と「演劇」、「役者」と「俳優」などの対比による舞台表現の差異などということも考えていました。それからそもそも「表現とは何か」とうテーマまでも、吉本隆明『表現芸術論―表現の本質』などに刺激されて考えていました。 さらには、主に札幌を中心とした道内各地の演劇の流れと、時々に観る道外の演劇、あるいは大きく言って世界の演劇、といっても僕が実際に観たのはほんのわずかなのだが、それらから感じられる個々の舞台のテーマとその繋がり方みたいな関係を考えてみたいという思いもありました。そういう文章が書ければ良いなと思ったことは何度もあります。 かつて、井上ひさしが「演劇学者によっては、演劇のパターンは36通りしかないという説がある」と紹介していたが、05年5月28日の8チャンネルTVで、ジェームス三木が、韓流ドラマがその昔の山口百恵の『赤いシリーズ』との共通点が多いと述べている文脈で、「ドラマのシチュエーションは36通りしかない」と語っていた。シェイクスピァの全作品も当時は36作だと言われていた。その検証もしたかった。 原健太郎さんのご期待にお応えできず残念ですが限界です。
10月を過ぎて 15年11月5日
その後のこと 15年11月30日
そんなわけで、この記念すべき50号もいつものように、というか、いつもより考えられないほど発行が遅くなったのは仕方のない事です。とんだ記念号になりました。
寄稿お礼
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