後 記

『続・観劇片々』第50号                     15年9月末

世間並みにいうと、当『続・観劇片々』も、50号というメモリアルな発行を迎えました。無我夢中での50号だから何かをやろうかという気もなく、気が付いたら50号だったというのが正直なところです。

いつもいろいろとご助言を戴いている、原健太郎さんから、先日「長い文を書いたらどうか」というお話を戴きました。
実は僕も85年ころ、今春お亡くなりになった劇評家・扇田昭彦さんが『世界は喜劇に傾斜する』というご著書をお出しになった時、そのご本は、扇田さんご自身がそれまでにお書きになった27編の劇評を改めて読み直すことから、時代と演劇の関係を総体的に再構築したような長編論文だったと思います。それを読んだ時に、僕もこういうものを書きたいなと思ったことは事実です。

そして具体的には当時、一人芝居というものについて実際の上演舞台を通して、いろいろと考えていましたが、その表現方法論を分類してその長所・短所や存在理由や存在価値などを確認することが出来るんじゃないかなどと考えていました。

それと同時に「芝居」と「演劇」、「役者」と「俳優」などの対比による舞台表現の差異などということも考えていました。それからそもそも「表現とは何か」とうテーマまでも、吉本隆明『表現芸術論―表現の本質』などに刺激されて考えていました。

さらには、主に札幌を中心とした道内各地の演劇の流れと、時々に観る道外の演劇、あるいは大きく言って世界の演劇、といっても僕が実際に観たのはほんのわずかなのだが、それらから感じられる個々の舞台のテーマとその繋がり方みたいな関係を考えてみたいという思いもありました。そういう文章が書ければ良いなと思ったことは何度もあります。

かつて、井上ひさしが「演劇学者によっては、演劇のパターンは36通りしかないという説がある」と紹介していたが、05年5月28日の8チャンネルTVで、ジェームス三木が、韓流ドラマがその昔の山口百恵の『赤いシリーズ』との共通点が多いと述べている文脈で、「ドラマのシチュエーションは36通りしかない」と語っていた。シェイクスピァの全作品も当時は36作だと言われていた。その検証もしたかった。
でも結局は力不足が根底にあり、日々の雑事に追われていることを理由に、基本から取り組むことから何時も逃れてばかりいて安きに着き、今更後悔しても、もうダメです。

原健太郎さんのご期待にお応えできず残念ですが限界です。
現在は一つ一つの舞台を気ままに楽しみベテランの作品はベテランらしく、若い人の作品は若い人らしく、どんな舞台を創るのか単純に受け取る日々を送るだけという怠惰な心境です。

 

10月を過ぎて                        15年11月5日


10月1日に心臓ペースメーカーの定期健診に行ったら、全く自覚症状がないのに重病が発見されました。入院手術の結果辛うじて生き返ったのですが、以前のように動き回ると命の保証は出来ないと言われて衝撃でした。
恐る恐る生きていてもしょうがないから、死んでも良いからやりたいことをやろうかとも思ったんですが、肝心の身体が思うように動かないのです。何だか暗示に掛かったような気もしないでもないけど、現在はそんな心境です。
早くまたいろんな舞台を観たいという欲求が日に日に強くなってきます。

 

その後のこと                        15年11月30日


退院の半月後から11月末までの半月間で、札幌の舞台10作品を観ました。ちょうどTGR開催中だったので、魅力的な舞台が多く元気が出ました。詳細は次号でご紹介します。

そんなわけで、この記念すべき50号もいつものように、というか、いつもより考えられないほど発行が遅くなったのは仕方のない事です。とんだ記念号になりました。

 

寄稿お礼


今号にも旧友の細川泰稔くんが、別稿のように『螺鈿の宝石箱』について書いてくれました。
僕とは違った視点からの論稿なので、貴重な寄稿です。ご愛読を宜しくお願いいたします。