door

観劇日時/15.9.18. 17:00~19:00
二回目観劇/15.9.18. 17:00~19:00
劇団名/劇団 ミセヨルド
公演回数/旗揚げ公演

作/万代菜月 補作・演出/劇団 ミセヨルド
音響・照明プラン/劇団ミセヨルド 制作・宣伝美術/万代いづみ

会場名/雑貨カフェバー キルティングビー

少女の変化する一夜

高校受験を控えた15歳の少女・ハル(=万代菜月)は母親のいない家庭で、アル中の父親と二人っきりの家庭は孤独だった。ある夜、観た映画に感化されたハルは、厚化粧をし大人の格好をしてフラッと知らない深夜のバーへと迷い込む。
そこはゲイのマスター(ママ? =佐藤自真)が一人で営んでいる店で、客はギターを弾く無口の中年男(=山上正樹)が一人静かに飲んでいた。
そこへ甚平姿で顔中髭だらけの男(=宮田哲自)が来る。リンゴジュースを飲みながら何かオドオドとして本を読んでいるが落ち着かない。ケータイの着信音にビクビクして謝りながら大慌てでケータイを抱えて飛び出してゆく。
ハルは何となく大人っぽく振舞おうとしているが、自分の事情を話しているうちに未成年だとバレてしまう。事情を知ったマスターは何とか宥めて帰そうとするが、ハルは開き直ってしまう。
髭男は詩集を何冊か出し、昔はマスターもハルも知っている映画の脚本も書いた事が髭男の話から分かる。だが今は自信喪失して自分を失ったナイーブな中年男だ。
常連のセレブな婦人(=前田綾華)が来る。格好よく高級ワインを飲むが、一口飲むと突然、訳の分からない声を挙げてカウンターに突っ伏す。何か家庭の事情がありそうだ。マスターは手馴れた調子でうまく扱って静かに帰す。
ハルは徐々にこの店の雰囲気に馴染んで行く。マスターも詩人もいわゆるマイナーな存在の人たちだ。ギター弾きもセレブ婦人もやはりなにかの宿命を背負った落ちこぼれの人たちかも知れない。
ハルは自分だけではない、そういう人たちとの間に何か心情の繋がりを感じる。マスターはハルの詩心を感じて髭男を励ますつもりで三人で詩の競作を提案する。ハルは自信満々、髭男はダメだダメだと自己否定しながらも、それぞれ詩作に向かう。ハルは少女らしい詩を創る。
ハルは「酔っぱらった父さんはリンゴジュースを飲めばいい/受験だけの先生は、今の悩みに目を向けよ/私の同級生たちは優しい人の詩を知って/中学生の夜遊びは間違いなどでは決してなく映画の中のようでした」と書き、髭男は「doorの向こうに新しい風景が開ける」という詩を書いた。
ハルはマスターに母親のような愛情を感じる。マスターも「いつでもおいで」と帰宅するハルを暖かく見送る。
皆んなが帰って一人になったマスターが読んだ自分の詩は、「人生楽ありゃ苦もあるさ~」という水戸黄門の主題歌だったという落ち。閉店準備で幕が降りるが、少女の心がほぐれる一夜を描いた佳編。全体にテンポが少々緩いのと情緒過多な印象もあったが、初公演としては素的な舞台になったと思う。
これを観ていて僕は吉本ばななの小説を思い出していた。道新9月27日読書欄に東京報道・上田貴子氏が「経験基に励ましのメッセージ」というタイトルで吉本ばななの小説の紹介をしている。まさに作者の万代菜月に共通する心情で僕はその上に、叶わない愛情の裏返しという良い意味でのファーザーコンプレックスをも感じたのだ。
一番頼りになる筈の父親との断絶に悩む娘が、そのやりどころのない精神的苦悩を、その父親にぶつけ返す精神的な逆転反応がファーザーコンプレックスだろうと思う。 
アル中で自分に無関心な様子の父親像にそれを見る。
僕の肉親の一人が成人になったとき、自分が物心の付く前に離別した父親を母に内緒で探し出そうとした事に僕も一役買った経験から、この『door』の父親の設定に、そのファーザーコンプレックスを感じるのだ。哀しくも暖かい心情の現実だ。
少女の心情が表面的だと言う指摘があったが、まずはここから始まるのだろう。作者もそれは充分に分かっていると言っているから、その心情の深さを掘り起こす次作を大いに期待したいと思う。
また、三人が告白する場面でマスターがギター弾きに対する恋心を告白するシーンがあるのだから、その後にギター弾きが何か忘れ物を取りに来るとどうなるか? とか、流しのフルート吹き(=田中英子)が場の雰囲気を変えるのだが、そこで何か面白いシーンが創れそうだとか、まだまだ発展の可能性を持っているようだ。わが身近に若い才能が生まれた事に大きな期待が膨らむのだ。