幼女X + 楽しい時間

観劇日時/15.9.12. 14:00~15:40
劇団名/範宙遊泳
上演形態/27年度コンカリーニョセレクション

作・演出/山本卓卓
楽曲提供/千葉広樹 
アートディレクター/たかくらかずき 美術協力/中村友美
照明/富山貴之 音響/高橋真衣 
衣装/藤谷香子 舞台監督/櫻井健太郎
演出助手/藤江理沙 制作助手/柿木初美・川口聡 
制作/坂本もも

劇場名/コンカリーニョ

不明な霧中での出来事?

幼女X

出演/幼女X=大橋一輝・埜本幸良  

幼い女の子が強姦殺害された現実の事件をモチーフに創られた、犯人の心情を綴った物語。そしてその後日談らしい……?
と言うのは、この物語の具体的な展開がほとんど分からないからだ。舞台にはまったく何もない。背景にスクーリンがあって、そのスクーリンに投影される相手役の台詞と会話する犯人らしき男と、その姉、姉の夫、そしてその娘である被害者の幼女や、犯人の男の母親たちの文字で映し出された言葉での遣り取りで進行する。
これは演劇なのだろうか? 確かに思いがけず姪を殺す叔父の心境は、その象徴的なダンスのような身体の動きによって表現される特異な心情は感じられるけど説得力は全くない。表現者自身の舞い上がった自己満足で自慰行為としか感じられない。肝心の幼女殺害の心境の核心が全く感じられないのだ。

楽しい時間

音楽/千葉広樹   出演=福原冠

後半の「楽しい時間」は恐らく、その幼女殺し後の彼の思いを表現しようとしたのだろうが、これも大小7台のモニターTVの画面に映し出される語句との対話であり何事かを説明するような展開だから正直、退屈する。劇的葛藤がない。すべてが言葉による説明なのだ。
新しい表現法を創ったということを見せ付けようとするような自己顕示だけが強く感じられ、この100分は一体何だったんだろうか? 僕の感覚が老いぼれて鈍くなったのだろうか? これが果たして本当に新しい演劇の表現なのだろうか? 全く分からない……

    ☆

宣伝フライヤーには―『幼女X』は現代の緊張した空気感と祝福を描き(抜粋)―『楽しい時間』はその東京の遥か過去か未来の物語(抜粋)―と紹介されているのだが?……
道新の演劇記者・中出幸恵氏は「(要約抜粋)札幌の演劇は、観客が難解なものを好まないためなのか、分かりやすい作品に人が多く集まるような気がする。それがダメとは言わないけれど、劇団と観客双方にとって、それでいいの? と思う。」

さらに「分からないと諦めるか、どんな意味かと付いていくか。見る側の想像力が試される。」とも書いている。(コラム『ステージ』より)僕は分からないけど諦めないが、この舞台には付いていきにくい。僕の感受性の欠落を嘆く。