月光の夏

観劇日時/15.9.9. 13:30~15:10
行事名/旭川市民劇場 9月例会
劇団名/劇団 東演

原作・脚本/毛利恒之 演出/鈴木完一郎・原田一樹
照明/鵜飼守 音響/高橋巌 
舞台監督/原野寛之 制作/横川功

劇場名/旭川市公会堂

出演/
和泉れい子=女A・語り・吉岡公子
南保大樹=男A・語り・風間森介・石倉金吾
清川佑介=男B・語り・三池安文・海野光彦・
結城忠男・矢が島参謀・町の声
絈野二紗子=女B・語り・風間久代・石田リエ・記者・町の声

さり気なく戦争の究極悪を表現する

1945年、敗戦の兆しが濃くなったころ、特攻隊という自爆による青年飛行隊が組織された。まるでISの自爆とそっくりだが、前途有望な学生たちが次々と消耗品として戦場へ送られたのだが、その特攻隊隊員になった音楽を愛する二人の学生が、今生の別れに佐賀県鳥栖市の小学校にあるピアノを弾きたいとやってきて、ベートーヴエンのピアノソナタ『月光』を弾き、その後で出撃する。その時に立ち会った女の先生が後年、この事実を伝える。それがこの物語である。
その中の一人は機体にトラブルが発生し、犬死するよりはと編隊長の命を受けて基地に帰る。だが基地では命が惜しくなって逃げ戻った卑怯者と罵られ監禁状態のまま次の出撃を待つが、どうせまた臆病風を吹かせて戻って来るだろうと自尊心を徹底的に痛めつけられる。そして敗戦、虚脱したまま帰郷し一緒に『月光』を弾いた同士の妹との関係の中でも自分だけ生き残った罪の意識は重く被さる。
直接に弾劾するのではなく、さり気なく被害者の悲劇を描いて戦争の究極悪を表現する。その方法の方が観ている観客に訴える力が遥かに大きいのだ。
          ☆
敗戦の夏に10歳だった僕(松井)は小学4年生だった。当時小学低学年から軍事教練は行われ、血の気の多い奴は、敵をやっつけるために後2・3年で特攻隊を志願したいなどと言っていた。
僕は単純に、戦うことや、ましてやそのために死ぬことはひたすら怖かった。考えた末、軍楽隊になりたいと思った。いま考えれば軍楽隊が戦場に出なくてもいいのかどうかは分からないが、当時は子ども心にそれが唯一の正当な逃げ道だと信じていた。
だが、これも今考えるとそのころ田舎の小学校には楽器と言えるものは体育館を兼ねた講堂に小型のボロなオルガンしか無かったのだ。だから、どうやって楽隊の練習などできただろうか? ところが当時この鳥栖小学校にはこんな立派なグランドピアノがあり、この若者二人はベートーベンが弾けただなんて!
          ☆
さて、この物語を戦後45年目に二人が来た時に鳥栖小学校の先生だった吉岡公子さんが回想するという大枠で、男女4人の俳優が朗読で、ピアニストがピアノ演奏で繰り広げる。
もちろんピアノの魅力はとても大きいし4人の語りも充分に説得力はあるのだが、僕はどうしてもこの表現法は手抜きの様な気がして仕方がない。これを普通の演劇として上演した方が感銘はより強くなるのではないのかとしきりに思うのだった。