なにぬの屋

観劇日時/15.9.8. 19:00~19:50
上演者/布でつくった紙芝居屋 渋沢やこ
主催/深川おやこ劇場

会場名/深川中央公民館

高度な一人芝居の演技、障害を持つ人の意外な存在理由

当日パンフを読むと「『劇団 風の子』の演劇研究所から劇団へ入団して全国巡演、退団後フリーで小劇場やプロデュース公演で大人対象の舞台出演と重ねて、紙芝居『なにぬの屋』を始め、現在は『京楽座』に所属し舞台出演や様々な演劇で活動中」と書かれている。
憶測だが、そういう舞台活動の経済的な裏付けを得るために、この『なにぬの屋』という紙芝居公演によって各地の「おやこ劇場」に出演しているのではないかと思った。それくらい、この人はキチンとした舞台俳優としての基本的な演技が出来ていると感じられたからだ。
紙芝居、イヤ布芝居だが、メーンの二つの物語は両方を合わせて20分位で、その前と中間とで30分ほど様々なパフォーマンスを演じる。それがほとんど遊びなんだけどキチンと一人芝居になっていて、僕の規定する一人芝居の第3類、つまり一人で何役をも演じ、その上にうまく観客を誘い込む巧妙さがごく自然なのだ。
僕の考えでは、舞台とは客観的に観るべきで、観客を舞台に引き込むのは演劇として邪道だと思っているのだが、その僕でさえも知らずにいつの間にか取り込まれていた。これは一人芝居の第4のパターンを考えなければならないのだろうか?
最初の演目は「亀の甲羅のひび割れの成り立ち」という外国の民話で、アップリケされた布を接着テープで貼ったり剥がしたり、いわゆるペープサート方式で絵が創られる。そして演者自分自身も登場人物となって笛やラッパなどを使ったり簡単な衣装までも使ったり賑やかに演じる。
二つ目の『へたりよめご』は、上演前にフライヤーを読んだ時には演者は男性だろうって思い込んでいた。屁をひる花嫁の話という生理現象を笑う下品な話だと思ったからだ。ところが実物はまだ若い女性の「渋沢やこさん」だった。先の『亀の甲羅のひび割れ』の話がいかにも昔話らしくて、女性だったのが意外だったのだが、『へたれよめご』は、すんなりと話に入り込める。
とにかくぶっ飛んだリアリティのない話で、これは何だろう? 障害を持つ人も考えようによっては意外な存在価値があるんだよということを象徴しているのだろうか?現実には在り得ないような特大・巨大な放屁を、うまく利用して下品にならず、アッケラカンと展開し、嫁とその夫が新しい人生に向かう期待を持たせる楽しくもバカバカしい話だった。子供はもちろん大いに反応して声を出して楽しんでいた。僕も一夜の一刻の意外な展開を楽しんだ。
帰宅後ネットで調べたら原話は東北民話で、松谷みよ子氏の『へっぷりよめさま』を始め、沢山の翻案の物語があるのだった。昔の人々の願望でもあるのだろうか。