みなSummer 夏おまたせしました

観劇日時/15.7.11. 12:30~14:20
上演集団名/専門学校 札幌ビジュアルアーツ パフォーマンス学科
公演形態/夏公演

スタッフ/音響=工藤杏菜・加藤純哉 
照明=干場恵美子・澤井トトロ
舞台アシスタント=岩﨑陸・吉原沙希
映像編集=三浦光司・映像学科2年生
映像オペレーター=弓場涼香 音響効果=斉藤彰宏
音楽=端一仁・塩入若葉・本間亮一・諸橋朱音
制作協力=門間さくら・半田燈
サンクス=熊木梨沙・青山浩之・上村ひとみ・長谷川純・佐藤裕太・
高橋貞二・佐藤正裕・写真学科・山﨑五郎・NPO法人コンカリーニョ
統括=深澤慎一
総合監修=武田晋

劇場名/コンカリーニョ

演目1  オープニング
 
出演/中村誌甫・西山和也・稲見玲奈・岡田大樹・午来有彩・
手島陽香・中嶋謙斗・西村祥・野崎常盤

男女各2人ずつの、いわゆる「ド突き漫才」。精一杯だけど大声で怒鳴っているだけの若さの発散。二言目には相手の頭を叩いたり足蹴にするのは美しくない。それともこういう場面で暴力を発散させるのは、ストレス発散の暴発を防ぐ作用でもあるのだろうか? 単なる大人の真似だけなのか?

演目2 STORY  暁の、光満ちる家

脚本・演出/北山祐次
出演/父=廣原義之 母=新谷菜摘
娘・美久=嶋口萌々子 息子・祐斗=北山祐次
猫のマチ子=Buzdugan Alena 芸人志望者・茜=小笠原里緒
集団のボス・龍ケ峰=木下龍哉 集団のメンバー・迫田=中川世名
集団のメンバー・リリィ=瀬川楓

若者たちの周囲を見る真摯な目

父が下手な音楽に狂って家を出、残った母は生活の為に夜の仕事に出ているので家族を帰りみる余裕が無い。姉娘・美久は引き籠り、だがひたすら家事をする。弟息子の祐斗はグレて姉にたかり、それでも受け入れてくれる一種の修養団体に入る。
だが、そこは道を外した若者たちを受け入れて新しい生活を創るのは建前で、実はいい加減な屁理屈をつけて、窃盗や万引きなどをノルマとしている悪徳集団だ。
暴走族から、この団体で救われた少女・リリィは、あるとき、それに気付いて密告し一網打尽となる。
そのころ姉娘・美久は何とか母を説得して弟を許し一家の再建に努力する。だが三人はそれぞれが自分の立場だけを主張し家族四人の結束は難しい。
その時、父は死の病に直面していたことが判る。それを知った父は、ひたすら自分の過ちを土下座して謝罪する。
この親子四人のそれぞれが他の三人を断罪し、自己主張し、特に何とか和解しようとする姉娘の自己犠牲の激しさは圧倒される。父の死を機会に残された三人は新しい家族として再出発する。
それから一年後、それぞれの人たちの新しい生活が紹介されてエンドマーク。猫は単なるペットじゃない。一人の人格としていっぱしに自己主張するのが可笑しいけど納得させられる。ハッピィエンドではあるが、若い人たちが思ったより真剣に自分たちの周囲を考えていることに感銘した。

演目3  HAJIKE

脚本・演出/2年生全員 出演/前作の全員

おそらく前作『暁の、光満ちる家』を下敷きにしたような展開。コンビニ強盗と、それを捕まえる警官や刑事たちの銃撃戦を激しく見せるだけ。だがそこにあったのは夫婦愛であり親子愛であった。前作の出演者がそれぞれ最終的には夫婦や親子の協力する男女の警官や刑事を演じている。
何の意味も無い単なるエネルギーの発散で演技の勉強か。「HAJIKE」の実践であろうか。

演目4  HORROR

脚本・演出/嶋口萌々子 出演/新谷菜摘・小笠原里緒・嶋口萌々子

過去の現実は現在の大きな恐怖

薄暗く乱雑に散らかった舞台いっぱいに、亡霊のような黒装束の大勢がそこここに屯して蠢いている。若い女性が3人、声を忍ばせて互いの名を呼び交わし、その中には「お母さん」という声も聞かれる。
爆撃機の轟音、緊急サイレンの咆哮、交錯する地面からと中空からの激しいライト、連続して炸裂する爆発音。
突然、昭和天皇の終戦詔勅、うっすらと明るくなると『リンゴの唄』が陽気に聞こえる。だがこの唄は一小節だけが次々と被せられて狂ったように繰り返されるだけだ。と、突然再び空襲警報のけたたましいサイレンが禍々しく鳴り響き、それが何度も何度も繰り返される。
それだけの10分ほどの象徴的で抽象的な情景描写、だけど「HORROR」と名付けられた、この短いシーンに若い人たちが込めた恐怖の心情は、僕の心を大きく打って過去の恐怖を引きずり出したのだった。

    

最近、この『リンゴの唄』が、若い人たちの吹奏楽団のレパに入っているのを知ってビックリしてすごく嬉しかった。この『リンゴの唄』は70年前の敗戦直後、そのころ少年であった僕が親の商店を手伝っていたとき、平和になって出来たばかりの街頭放送のスピーカーから毎日流されていて、今でも歌えるのだ。それだけに、この場面に使われていることに一層、他人ごととは思えない恐怖心が強かったのだ。