演目1 わが母とはたれぞ
上演時間/14:00~14:50
ふしだらで自分勝手な母・しのぶ(=小山由美子)、自分の本当の子どもではないかもしれない息子・良一(=渡邊秀敏)とその妻・友子(=田端皆美)、三つ巴の日常生活。中流社会のある家庭で、秘密が滲み出る親子・夫婦の蟠りと葛藤の日々。
教育勅語や妙法蓮華経の語句をギャグ風に使って進行する60年以上も昔のある状況を面白く可笑しく切なく表現している。この状況は現在でも基本的には同じだとも言える。大胆に現代化したらどうなるだろう。
この作品が発表されたのは僕の高校生時代であり、その風俗は僕にとっても何とも懐かしい風景であった。
その他の出演/隣に住む友人・貞子=大島里彩 その兄・成金の茂夫=古屋遼
演目2 一族再會
上演時間/15:00~15:50
莫大な資産家の娘・ゆり子(=小山由美子)は、その財産目当ての没落貴族のドラ息子・樂二(=猪股五郎)の家名に憧れて、お互いの打算で結婚したが、20年後に二人は別れることになる。
夫は小間使いの少女・文子(=山木眞綾)に溜め込んだ財宝を餌に淫蕩な誘いの手を伸べる。一方、妻はこの家屋と当時としては資産の象徴である自家用車を譲るという条件で、お抱え運転手の若い男・吾郎(=宮森峻也)に言い寄る。
小間使いは男の見せたトルコ石の耳飾りの片割れを持っていた。それは孤児だった少女が養母から譲られた実母の形見であった。それを見た妻は、それは自分が若い頃、一夜の契りで相手の名前も知らない一高生との間に産んだ男女の双子の一人だと悟る。
しかも双子のもう一人の男児は、その運転手であり、双子であるその小間使いと運転手は、その事実を知らずに、この夫婦の別れを切っ掛けに一緒になることを約束していたのだ。
そして夫はその時の父親であることも分かる。つまりこの夫婦と若い男女は偶然に一ツ屋根の下に暮らしていた一族で複雑な近親相姦の一歩手前だったのだ。
あり得ない設定なのに、ある生理的な自己欲望の象徴として強いリアリティがあり、次々に暴露されて行く展開に、客席は軽い驚愕と道義を外れた軽薄人間への軽蔑との苦笑が広がる。
☆
以上の2篇とも、善意や無作為の秘密隠蔽や自分勝手な行動など、人物たちの行動や考え方に現実味があるから演劇という架空の存在だと分かっていながら現実の一つの象徴として納得が出来るリアリティがあるのだろう。
若い演技者たちも時代の雰囲気をよく出しているので浮き上がらず、着実に当時の世情を再現している。現代化して洗い直したら、もっと面白くなるかもしれないと思うほど時代の先を見通している戯曲で、それを選び出して素直に表現したのが今日の舞台の魅力であった。 |