山がある。

観劇日時/15.6.24.
その他のデータは10日の初日と同じ

現実の政治状況と同じ不安

日常生活の中にある、その生活の根拠が根元から破壊されかねない原因不明の恐怖。そしてその中にもハッピーな現実生活は依然として何事も無かったように営まれ続けている。
この感想は初日と同じだった。2回目の今日の観劇で強く感じたのは、この恐怖は現在の現実の独善的な悪政の恐怖に当てはまるのだと思えた。
そう見ると一番大事なことを見逃してゆく怖さが浮き彫りにされて来るのが見えてくるのだ。見過ごしてゆく怖さ。これが平板な日常なのか? その怖さに立ち向う勇気の欠落、現実の悪政に対応できない人々の認識の甘さ。それをエンターテインメントに包んでやんわりと提出した表現だと思った。そちらの方の怖さを強く感じたのが、今日の感想である。
タイトルの『山がある。』は、ある登山家が質問に答えて「そこに山があるから」という有名な言葉から付けられたとフライヤーに書かれていたが、「山がある。」は「山ガール」とも読める。と言うことは、登場人物の一人が若い女性で、つまり山ガールの話でもある。ということは、この物語は現代的で健康で活発な若い女性も当然その恐怖と、そこから逃げるだけで対応の無さをも共有しているのだということを強調しているのだとも思われたのだった。