透明人間

観劇日時/15.5.23. 19:00~21:00
劇団名/唐組
公演回数/第55回公演

作/唐十郎 演出/久保井研+唐十郎 絵/合田佐和子
宣伝美術/間村俊一 データ作成/海野温子 作詞/唐十郎
作曲/石川鷹彦 唐十郎撮影/滝本淳助 舞台監督/気田睦
舞台美術/気田睦 照明/岩戸秀年 
衣装/赤松由美 音響/岡田悟一

テント劇場場所/東京・雑司ヶ谷・鬼子母神境内

一直線、熱血舞台の魔力と魅力

久しぶりの赤テント、テント劇場の元祖・赤テントである。相変わらず薄汚れた濃い赤色のテントの中の舞台には、やはり小汚いとしか言いようのないボロッチイ材木で煤けた壁の場末の焼鳥屋の店内が作られている。 
開演前にそれを眺めていると何故か「ああ、懐かしいなァ」という詠嘆が漏れる。やっぱり赤テントだ。150人ほどで満員の観客は地面の上に直接敷かれた古畳の上にぎっしりと座っている。50人目以降の遅くに入った僕たちは、多少強引に最前列へと割り込む。舞台先端まで進んだが、やはり最下手で目の前に大きなスポットライトが邪魔をしているが、それも何か赤テントらしいなと身贔屓する。
見回すと僕と同年代らしいジイさん、それから中年壮年は勿論、若い20代の男女が、つまり老若男女が客席を埋めている。さすがにバアさんらしい人は目に着かなかったが、もしかして夜陰に紛れて若装束のバアさんが居たのかもしれない。唐十郎の世界には大いにあり得るのだ。唐十郎人気は今も健在なのだ。
僕が初めて唐の舞台に触発されたのは40年以上も前に観た『腰巻きお仙・振り袖火事の巻』であり、それから演劇の魅力の源泉として唐十郎戯曲と赤テントの舞台は基本となっていた。
さて今日の舞台、実は97年の初演を観ている。その時の感想の中心部分を引用する。

         ☆

開幕から終幕まで直線的で全力疾走だった。しかし好感のもてる疾走だった。話は保健所の役人と旧満州の流れ者の息子と場末の飲み屋の女との、これもやはり三角関係のラブロマンスであった。
この女は清純派の華奢な少女なのだが、背中に大きな瘤を背負ったセムシであり、しかも唖である。この三人の関係は何のメタファか? 国家権力とアナキズム、そして無力の民衆などが考えられる。

         ☆

今回観てその感想はほとんど変わらない。唐十郎の戯曲は、ラブロマンスの奥に隠れた国家や権力を炙り出す構造が基本なのだ。
今度観て分かったことは、透明人間の存在とは、つまり人々の目には見えない透明人間とは、その不当の権力者ではないか? ということ。
もう一つはこの薄幸の美少女の背中の瘤は流れ者に好かれないためにわざと背負った作り物であったことだ。それともう一つはこの美少女の身代わりに、もう一人の美少女が流れ者を籠絡する事で、この件は僕の記憶にないので若しかしたら僕が観たのは再演以後だったので、このシーンは無かったのかもしれない。今度の公演は初演に戻すと書かれていたのだから。
なんだか複雑になってきて、今の僕には簡単に解明出来なさそうだ。でも何とか考える糸口はありそうだ。でも、それを越えた舞台の魅力と魔力は2時間を興奮の世界から離されることはなかったのだった。

出演者/久保井研・辻孝彦・稲荷卓央・藤井由紀・赤松由美・氣田睦・岡田悟一・
土屋真衣・岩戸秀年・南智章・清水航平・福本雄樹