「落語は業の肯定」という立川談志の規定によると、この舞台はまさに落語そのものである。大金持ちの暇人が悪巧みの計画をして続行し、それに引っかかったと思ったら逆に自滅するのだが、二人とも、そのことを恨んだり悩んだりしない、むしろ楽しんで新しい交友関係を作り出すという顛末を、首謀者(=風間杜夫)と引っかけられた男(=加藤健一)を中心に7人の男女が振り回される奇想天外の物語。
この面白さ可笑しさは、直接に観た者だけの特権だから、内容についての紹介はしない。観なかった人はそれだけ人生を損しているのだ。カーテンコールで加藤健一が、「大笑いした今日のお客様は人生で1時間の長生きをしました」と言ったが、まさにその通りだった。
しかし僕が感じたのは、日常の生活というか考え方というものが、現実の日本の実状とは常識的に違和感のある部分だ。
第一に男女の入り乱れた関係だ。登場人物のほとんど全員が三角関係・四角関係の複雑な網の中にいる。だがそれは別にイヤらしいとか不道徳とかの感覚が無いようなのだ。その時点での愛情の大小に存在価値があるようなのだ。
次に初対面の人物同士が握手一回で旧知のごとき交友を持つことだ。まったく何の不審もなく、長年の友人同士のように話し合い、事態を進めることに少しも疑問も抵抗も無いことである。僕たちでは中々そうはいかない。ある程度の仲にならないと、どうしても他人行儀の遠慮がある。このやり方は世界平和の一つの方法だというのは余りにも考えすぎだろうか?
3番目には、高級官僚である税務職員が簡単にプライバシーを一般の人たちに公開していること、軽いのだ。それが悪いとは言えないが僕たちの身の回りでは高級官僚はあまり個人的な生活は見せないのが普通だし、それはそういう職業が一般人に与える影響を考慮するからだろうと思う。特に交友関係の無い人に対して個人的な面を見せないのは、日本人の感覚として当然だろう。
最後は脱税者が多いこと。実はこのセレブも脱税者らしく、バカと認定された相手(=加藤健一)が国税庁の職員で、仕掛け人(=風間杜夫)の脱税が見破られそうになる騒動もあるのだが、その調査も、この場とはそういう場ではないとしても、こういう場に取り込んで、しかも軽く流してしまうことに違和感が残る。
そういうフランスと日本との感覚の相違を超えて、登場人物たちのマイナス面、つまりその人たちの生きる「業」を笑って肯定する話は、落語とまったく相似形であることに堪能したのだった。 |