遊戯祭15 手塚治虫に告ぐ

観劇日時/15.4.25.
企画・制作/遊戯祭実行委員会・加藤絵里香

舞台監督/㈱アクトコール 
照明/高橋正和・清水洋和 音響/大江芳樹

演目1 バラバラの話

上演時間/11:00~12:15
劇団名/星くずロンリネス
上演形態/遊戯祭15「手塚治虫に告ぐ」参加作品

作・演出/上田龍成=モチーフ作品『ブラックジャック』『ふしぎなメルモ』
劇場名/コンカリーニョ

手塚作品そのものじゃなく手塚治虫オマージュの物語

二代目漫画の神様選出オーディション」というTVのバラエティ番組に応募した3人の人たちの「初代漫画の神様手塚治虫」を敬愛する三つの物語。

1  キャンディーボール

赤と青のあめ玉を嘗めることによって年齢が若くなったり年を取ったりする『ふしぎなメルモ』から、売れない若い漫画家(=びす子・庄本緑子)と、そのマネージャー(=楽太郎)、そして売り出し中の若い女性漫画家(=綾瀬りの)の三組の売り出し狂想曲。

2  ブラックジャックに憧れて
医大を何度も受験しても受からない27歳の男・黒田(=熊谷嶺)。いつも最終の面接試験官(=高橋なおと)の面接試験で、あがって落ちるのを知った妖精(=五十川由華)が人知れず男の背後から肩を叩くと落ち着いて答えられるのだけれども、それが何故かその答えが回文の言葉になるというギャグ。上田龍成は言葉遊びが好きだね!

3  ニセモノ 
アトムの絶対的な力を期待している6歳の男の子(=さとうしゅんいち)が命に関わる大病を患う。鉄腕アトムが助けにくることを願うが、母親(=原田充子)はきっと来ると激励する。父親(=潮見太郎)がアトムの扮装で見舞いに来るが余りにも稚拙なので子供は逆に落胆する。子供は扮装よりも父親の真の心からの愛情が欲しかったのだ。その行き違いに気づいた父親。
会社人間の父親はわが児の大事な時、職を辞して付きそう。男の子は命を助かる。だが職を失った父親は漫画家として再出発する。声の出演=市場ひびき

           ☆

以上3話、いずれも手塚作品の一場面だけを意識的に取り上げて、劇的人生の一シーンに当てはめて漫画的な表現をした短編演劇のオムニバス。

 

演目2  OSANANA

観劇時間/13:00~14:30
劇団名/木製ボイジャー14号

上演形態/遊戯祭15「手塚治虫に告ぐ」参加作品
脚本/松崎修=モチーフ作品『メトロポリス』 
演出/前田透と松崎修 舞台美術/金子ゆり
舞台装置製作/勝見慧
衣装デザイン/大沼有加 小道具/井上航一・鎌塚慎平
照明/山本雄飛
音響製作/渥美光 シンセサイザー/松崎修
制作/川幡香奈・佐々木悠花・山口萌

劇場名/ことにパトス
出演/朱希・井上崇之・遠藤洋平・おかしゅんすけ・小川沙織
佐々木悠花・ 谷村卓朗・前田透・松崎修・三木悠史・宮崎俊也

極度に発達した文明の破滅

モチーフの作品『メトロポリス』とは、消費と享楽に満ちた未来のメガ都市・メトロポリスの物語であり、そこでは秘密組織レッド党の脅迫によってロートン博士は究極の人造人間を造る。ミッチィとして育てられたその人造人間は「メトロポリス」へと侵攻し、すべてが壊滅する。科学の未来が将来の全てを滅ぼすと警告する物語なのだろうか。
さてこの舞台は、6人の若者が屯する居酒屋風な薄暗い場所での、無意味な雑談と飲食の非生産的な時間の消費が延々と続く。メトロポリスの象徴なのだろうか。

終わりに近くの乱痴気騒ぎのシーンに、極度に発達した文明の破滅を暗示する気配が多少は感じられるかも知れないが、全編、全く意味不明だった。

 

演目3  MW

観劇時間/15:30~17:00
劇団名/劇団 アトリエ

上演形態/遊戯祭15「手塚治虫に告ぐ」参加作品
脚本・演出/小佐部明広=モチーフ作品『MW』
舞台監督/アクトコールKK 照明/高橋正和 
音響/小佐部明広 衣装/石川有里
小道具/小山佳祐 宣伝美術・WEB製作/八十嶋悠介

劇場名/琴似・コンカリーニョ
出演者/結城美知夫=有田哲 
賀来神父=伊達昌俊 谷口澄子=秋森美南
目黒刑事=柴野嵩大 中田英覚=小山佳祐
中田美香=遠山くるみ 支店長=種田基希 
美保(15年前の美知夫)=木村歩朱 青畑記者=キャス太
ミンチ中将=若月篤 副長(中田の秘書)=村上友大
帽子の男(目黒の部下)=畑宏卓 
自政党幹事長(15年前の賀来)=大湊敬太

抽象的・象徴的に表現した

沖の真舟島という小島でMWという秘密の毒ガス化学兵器が漏れて島は地獄と化す。これは福島の予言だろうか、そのショックがトラウマとなって育ったエリート銀行マン・結城美知夫は、連続凶悪犯罪者としての裏の顔があった。
この複雑怪奇な話を、ほとんどその通りに展開する、といっても具体的にではなく視覚的には象徴的・抽象的な描き方であり、全体に真っ黒な舞台に黒の礼服姿の人物たちが話を進める。
舞台にはほとんど何もない。あるのは3本の柱だけで、その柱の天辺には、鬼女とも言われる女性の怨念を表す般若面、お亀とも言われる女性の福を表すお多福の面、そして道化役のひょっとこ面の三つがそれぞれに掲げられている。
その3本の柱を動かして様々な場所を暗示させるという単純で象徴的な場面設定だけで舞台は進行する。やはり黒装束の群衆が出入りし、その中の何人かが、この3本の柱を動かすのだ。
結城美知夫の原罪が科学のもたらす悲劇の末期を表す舞台なのだろうか? 作・演出の小佐部氏は当日パンフレットのご挨拶の中に「実は手塚漫画は読んだことがなかった」と書いているのだが……

 

演目4  お前それジャングルでも同じこと言えんの?

観劇時間/18:00~19:30
劇団名/劇団 パーソンズ

上演形態/遊戯祭15「手塚治虫に告ぐ」参加作品
脚本演出/畠山由貴=モチーフ作品『ジャングル大帝』
舞台監督/上田知 照明/清水洋和 音響/倉内衿香
ダンス振付/光耀萌希 制作/深津尚未

劇場名/ことにパトス
出演/森田小夜=能登屋南奈 明石由芽子=宮崎安津乃 
手代木仁=石川哲也  轟大地=イシハラノリアキ
手代木智佳=江崎未来 内野しずく=大沼理子
北原紅葉=小池瑠莉 野々村美織=下山未来 三井悟=鶴

繰り返す悲劇の循環

ジャングルに生きる獣たちの集団を、弱小劇団という集団に見立てて、その内部の人間関係と軋轢とを描き出す。
リーダーの交代とその複雑な経緯、団員たちの演劇観の微妙な違い、などがリアルに描かれる。仕事や家庭のために折角の20周年記念公演が出来なくなりそうなのを何とかやりくりする様子などは余りにも身近過ぎて苦笑する。
次々と起きる障害のために劇団解散を覚悟した時点でこの喜劇は悲劇で終わったかと思ったら、途中で戻ってきた元・代表の知り合いである興行師が、この劇団の全国巡演を買って出るというハッピイエンドだった。考えてみると、これは振り出しに戻ったに過ぎず、もう一度、イヤ何度も同じことを繰り返すんだろうと思うといささか悲観的にならざるを得ない。すべてがそう上手く行くはずがないので、それが人生であり人の世の常であり世界はそういう風に出来ているのかもしれないのだ。

 

演目5  あすなろ

時間/20:00~21:30
劇団名/RED KING KRAB

上演形態/遊戯祭15「手塚治虫に告ぐ」参加作品
脚本・演出/竹原圭一=モチーフ作品『新寶島』
制作・衣装/小川しおり 小道具/湊谷優 パンフ/木山正太

劇場名/コンカリーニョ
出演者/能登屋駿介・湊谷優・浅葱康平・和泉諒・
チャゲンタ・斉藤詩帆・松田優哉・ 石橋徹城・山崎亜莉紗

手塚治虫へのオマージュとしての青春群像

50年代の初め頃、東京豊島区の一郭に漫画家の卵たちが集まる『ときわ荘』があったことは有名な話だ。その近所に『こわれ荘』という架空のアパートを設定し、そこに住む7人の売れないマンガ家たちの青春群像を描く。 そのアパートに戦災で両親とはぐれた少年が迷い込み、共同生活が始まる。やがて一人二人と売れないマンガたちは夢破れて去って行き最後には金銭に厳しいクロ一人だけが残る。そのころ少年の両親がすでに亡くなっていたことが判る。 成長した少年と残ったクロのところへ去った6人が集まった時には、全員すっかり老け込んでいた。 話としては面白いのだが、6人の漫画家たちの個性が際立たないから去って行った経緯がはっきりとしない。特に話の中心となるクロの性格が曖昧だし少年との交流の具体的な事実が分からない、その中でも大事な親からもらった模型の船へのこだわりの表し方が不明瞭だ。感情が高まると絶叫調の連続は白ける。 お地蔵さんの存在理由が不明で、せっかくの面白い存在なのに生かしきれていない。何のためにあるのか、これでは無くても同じだ。 『新寶島』を、影絵だけで表現したのは余りにも直接的で、技術的に拙劣でしかない。 以上、マイナス点ばかり指摘したが、手塚治虫へのオマージュとしての青春群像としては良い視点だったと思う。


後日の新聞報道によると、この作品と「劇団パーソンズ」の『お前それジャングルでも同じこと言えんの?』とが、観客・運営スタッフ・審査員の総得票数で同数となりジャンケンで決めたという。

こんな非常識な話ってあるだろうか? いやしくも表現作品である。例えばスポーツ科学だと成績は数字で表れるから同得点だと抽選ということもあるかもしれないが、この場合はもっと徹底的に議論を尽くして優劣を決めるべきではないのか。僕が「劇団パーソンズ」を最優秀に、「RED KING KRAB」は最下位作だと思ったからなおさら、その感を深くした。せめて両劇団二つ共を最優秀賞にすれば良かったのにと思う。「パーソンズ」を推した審査員は何を考えていたんだろう。