朧の森に棲む鬼

観劇日時/15.4.11. 19:00~21:20
劇団名/T☆Sプロデュースwith 劇団トムトム‐キロル

公演回数/10th Anniversary
作/中島かずき 演出/高井尚樹 
照明/室井秀之 音響/石倉亜沙美 
宣伝美術/仁木麻子 
衣装/木下大希・井盛孝幸 
小道具/塩野谷ひとみ・仁木景子・寺山愛 
会場/冨田一・工藤夏美・森美幸

劇場名/旭川市民文化会館小ホール

出演者/                   
ライ  =高井尚樹・
ツナとアラドウジ=斎藤順子と中川靖子の日替わり
マダレ  =島野浩一
フエ  =みうら紗絵
シュテンとオクマ=三上和世と小野静香の日替わり
シキブ=山本幸枝
キンタ=杉尾勇人
イチノオオキミ=松下音次郎
サダミツ=寺山修
ショウゲン=木下大希
ウラベ=井盛孝幸
ダザイ=仁木景子
バラキ=菅原さとみ
カネド=山田大海
ホシド=塩野谷ひとみ
ヤスマサ=野々村剛

絢爛豪華な虚無劇、の筈なのに……

07年の1月に東京新橋演舞場で、いのうえひでのり・演出、市川染五郎・主演の、この舞台を観ている。その後何度か『新感線』のいろんな舞台を観たが、すべて壮大な舞台装置の中で華麗に展開する物語は、僕の観た限り、すべて絶望のニヒリズムなのだ。そこに何故、こんなに人気があるのか分からないけれども、どうしてもまた観てしまう魅力が強烈なのだ。
さて、この日の舞台。開演前にとても気になったのは、舞台上下(カミシモ=左右)の袖にある、いわゆる大臣柱が真っ白で、舞台全面を覆っている黒幕が暗い森の中をイメージしている筈なのに、その真っ白が人工的でとても浮いてしまって気になった。案の定、始まるとそれに上乗せでその大臣柱の後ろにあるライトが大きな枠に吊るされて、これも如何にも人工的で、その中で演じられる物語が狭い空間の中でちまちまと進められているだけのようでまるで動く紙芝居を観ているようで興を削ぐこと甚だしい。
演技者たちは一所懸命にやっているのは感じるけれども、頑張っているだけで膨らみが無い。物語の面白さが強いから2時間20分を観てしまったが、残念ながら期待した感動はなかった。
『痛快なピカレスク・ロマン』と題した07年1月、東京・新橋演舞場での感想を再録しよう。(『続・観劇片々』16号所載)

  ☆

朧の森に住む3人の女妖怪の妖しい誘いによって、野心満々の男(=市川染五郎)が、得意の嘘八百の弁舌を重ね、野望に向かって成り上がっていく物語で、これは「マクベス」か「リチャード3世」か、井上ひさしの「藪原検校」か…
さらに酒呑童子の世界が背景になっていて、3時間に亙るストーリイは奇想天外であり、それを一々紹介するのはあまり意味が無い。それは実際の舞台を観た観客の特権であり、語れるのは、この舞台のもっている意味と魅力である。
意味は簡単だろう。人間の持つ業ともいうべき野望と底無しの欲望の怖さ、世の中の全てはそういう人間の業から成り立っているとでも言われているようなペシミックな気分にさえなってくる。
一方、魅力も簡単だ。金のかかった壮大な舞台装置、仕掛け、本水を頻繁に使い、目まぐるしく変化し逆光で目潰しを掛けてくる激しい照明、そしてロック調の音楽などなど、観客の本能的な官能を刺激し、無意識に気持ちを麻薬的に高揚させる。
敵味方のはっきりと別れた構図の中を、舌先一本で両方を籠絡し成り上がる男の、一種爽快なピカレスクロマン。その中で単純に信じるところを信じ続けて裏切られる男(=阿部サダヲ)や女(=高田聖子)の悲哀。
さらには裏社会のドン(=古田新太)の哀愁、男女(=染五郎と秋山菜津子・真木よう子)の恋の駆け引きなどなど、巧く造られた展開は、3時間を全く退屈させない。
カーテンコールでは、4回も5回も出演者を拍手で呼び戻しスタンデイングオーベーションまで出た。
1万2千円の千2百席が、1カ月昼夜満席になる大人気も頷けるが、こういう果てしない悲惨な人間の業を描いた悲劇の物語に対する観客の、こういう華やかな歓迎のような一種、熱狂的な反応を一体どう考えたら良いのだろうか?
その他の出演者。粟根まこと・小須田康人・田山涼成・他多数