『G′』ジーダッシュ

観劇日時/15.4.4. 
劇団名/ハムプロジェクト企画

公演形態/~これからの人札幌公演03~
脚本/すがの公  演出/彦素由幸・渡辺友加里・高橋雲
舞台/米沢春花 照明/竹屋光浩
ちらしイラスト/すがの公  
宣伝美術/天野ジロ・渡辺友加里・井嶋マキ子

劇場名/シアターZOO

歴史の断片から見える個人の生き方

初見 阿部樹子チーム公演

観劇時間/16:00~17:45

 1940年から2215年までの時空間を2015年の人たちが往復して何が幸せかを求める時空旅行の物語。といっても人物の相関関係が分かり難いので全体を通しての具体的な展開は不明だ。様々なエピソードが細切れに次々と現れては消え消えては現れる。それぞれのエピソードは過去と未来が交錯し、繋がりがあるようだが繋がらない。
国家権力を批判するような言動も垣間見えるのだが断片的でしかない。特に後半では、42年に恋人の女性が広島へ疎開児の面倒を看るために出動命令が出て、広島へ行くのが原爆投下直前であることを歴史で知っている彼氏が大慌てで探しに行くシーンが印象的だ。つまりすべてが、このように断片的なシーンの積み重ねで朦朧としているのだ。

二回目 浦竜也チーム公演

観劇時間/19:30~21:15

もう一度観て何とかやっと全体の繋がりが朧げに見えてきたかもしれない。つまり2215年のある男がタイムスリップして1947年の広島原爆投下を知っているので、愛する女性を助ける。その子孫が自分だということになる荒唐無稽の歴史物語らしい。
二時間近くに亘ってその三つの時代を往復しながらその子孫たちの物語、特に大戦中の軍隊生活などが、その男は結果を知っているから平気で生きていられる。その中には「正しいことは何か」とか「生きるとは何か」などという直截的なメッセージが語られる。
そういう風に観るとなかなか一筋縄ではいかない硬質な劇とも言えるが、何せリアリティが薄く、話が飛び交い、絶叫調の台詞が難解なので理解するのが難しい、でも何だか一度きりで見限るのも後ろ髪を引かれる思いで二度目を観てしまったのだ。

  ☆

3回のステージはキャストを替えの上演だが、演出者は3名の連名であり、浦チームでは終演後に浦竜也が演出者として挨拶したが、阿部チームではそれが無く、演出者3名の共同演出なのか全く不明で、ちょっと居心地が悪かった。当日パンフには演出部として事前フライヤーの演出3名の他に浦竜也が追加されていた。この辺りの責任体制が曖昧なのは気になる。
タイトルの「′」は時間の「分」の略記号であり「G分」と言うことになる。最初「G’」だと思い、それは「ダッシュ」ではなく「アポロストフィ」という省略符であり、「ダッシュ」は「-」であり文を転換するような様々な用途・用法があるのだが、さらに調べると「′」はプライム記号とも言われるが用途・意味はやはり「分」だ。(『句読点、記号・符号活用辞典』小学館刊) G分とは無限の時間という意味なのか。