後 記

報告2つ  15年3月

 雑誌『悲劇喜劇』3月号に、今年も原健太郎さんが『続・観劇片々』をご紹介くださいました。一年を無事に卒業できたことを嬉しく思います。
最近フトしたことで若い人が『若者たち』という、僕らが30歳のころ大流行したフオークソングを歌っているのを知りました。僕も一緒に歌えます。この年齢になって、こんな若い希望の歌詞を歌えることに新たな意欲が湧き起って清々しい気分で、この3月号を読み返しています。
続けて北翔大学の年刊研究誌『PROBE』に僕の劇評が8ページ掲載されました。という訳で、続けて『若者たち』を愛唱しているこの頃です。

地元の演劇公演から                      15年3月末日
 僕の住んでいる深川は人口2万2千人ほどの地方の田舎街だが、昨秋から今年の3月にかけて3つの地元による演劇の公演があった。
1)昨年11月30日 音楽物語『わが街ふかがわ』
2)今年2月21日  拓大ミユュージカル『旅する小舟』
3) 々 3月8日  市民劇団『さよなら山鶴またきて翅鶴』
 以上3作、いずれも市民文化交流施設『み・らい』という700人キャパシティのホールで上演された。


 『わが街ふかがわ』は、中央から指導者の派遣を要請して、深川の歴史を音楽で描いた一種の啓蒙・宣伝劇である。音楽が中心だけどエピソードが寸劇風に挟まれる。
 だからこれは演劇というよりは歴史の解説と言った方が良い催しであろう。最初からそれは分かっていたから市民劇団としては協力できなかった。ただ個人の参加は自由だから、劇団員の何人かは出演している。
 満員の観客を集めて興行的には大成功したようであって、僕もその存在は否定しない。だけど、これはあくまでお祭りなのだと思う。大勢の市民が集まって楽しんだというお祭り行事でしかないと思うのだ。そういう〝行事〟なのである。
 気になったのは、外部からの専門家と称する偉い人たちが監修したためか、史実に間違いや偏りや徹底性の欠ける部分が多かった点が散見されることだ。地元の参加者たちも専門家じゃないので、そこまで指摘は出来なかったのかもしれないが、やはり気になる。なぜ地元の人材が中心になって創らなかったのかが大きな疑問であった。


 『旅する小舟』は、大学の教育の一環として毎年、半年かけて創られていて、今年は30周年になるのだ。
 2ステージの上演で1,500人ほどの観客を集めて盛況であり、先日はNHKでドキュメントとして、その稽古風景が45分間にわたって放映され、さらに後日には再放映までされた。『友だちごっこをぶち壊せ』というタイトルで、そのドキュメントは感動的な物語になっていたが、舞台の内容はほとんど伝えていなかった。
 この舞台そのものは、教育の目的のために演劇という表現芸術を道具に使っていることだと思う。それが間違っているというわけではない。例えば絵画を使って啓蒙・宣伝のポスターを作ったり、短詩を使って標語を作ったり、CMに音楽を使うなどなどいろいろとあるし、演劇だって例えば妹背牛の介護劇などという秀逸な演劇もある。最近観た『劇団 yhs 』の『ラッキィ・アンハッピィ』などは卓抜で高度な演劇表現だが、実は障碍者の存在を尊重しその生き方を共感・鼓舞している話であり、演劇を道具に使った卓抜した一例とも言えるし、演劇とメッセージとがうまくドッキングした好例ともいえる。
 問題はそのメッセージなりテーマなりを、どうやって観客に感銘してもらえるかという表現技術に力を注ぐべきで、熱意と自己満足、解説と教訓だけでは不完全燃焼に終わり演劇ではなくなるということを懸念するのだ。


 『さよなら山鶴、またきて翅鶴』は、創立20周年記念公演として上演された舞台で、以下は別のメディアに書いた僕の文章から一部を要約して引用するものである。


 記念公演として主宰者からずっと暖めていた名作『夕鶴』上演の提案から話は始まったが、劇団員たちはこの戯曲は好きだが自分たちの手には負えないだろうという意見が強かった。
 例えば自分たちの市民劇団はスポーツに例えれば草野球みたいなもので、簡単に言えば演劇という行為を道具に使って遊んでいるようなものだ。といってそれが悪いわけじゃなく、演劇にはそういう機能もあるわけで、様々な分野で演劇を道具に使う事にはむしろ賛成する。だけどわが劇団が『夕鶴』を上演するということは、硬式野球の全道大会に草野球のチームがエントリーするようなもので、目的が違うし表現技術の実力が全く違うのだ。
 恩返しとその愛情の崩壊の悲劇として『夕鶴』という名作があるけれど、物欲と享楽による破綻を強調した方がより現代的じゃないのかと、その方向で創作することになり主宰の渡辺貞之が書いたのが『さよなら山鶴、またきて翅鶴』という戯曲である。
 いわゆる本格的な近代演劇を創る覚悟を宣言して行われた稽古は、これまでの市民劇団の稽古に比べると過酷だった。だが鶴の化身を演じる前田綾華が参加したことが大きかった。彼女が主戦投手の役割を担当し、後は座長という野球で言えば主将が中心になって守りを固め引っ張ってゆくという形が出来たのだった。
 舞台装置は解体した廃屋の部分を貰い受けて劇団員たちで造りあげ、衣装も劇団員たちで喧々諤々と作り上げ、2ステージの観客は予想300人を3割以上も多い400人を超えて舞台成果を含めて大成功と言いたいが、以下の反省点が指摘される。
 2回目の上演の最中に、一部の出演者が出番のない時に楽屋で笑い合って雑談をしていて舞台にその雰囲気を引きずり、それを感じた相手役が一瞬、気が逸れて役の心境から離れてとても困ったということ。
 稽古が無機質的に厳しく相手を完全否定しかねない指導が一部にあったという指摘でプロには当然かも知れないが、市民劇団には育てるための劇団員同士の意思疎通が大事で暖かい指導が必要だったということ。
 いわゆる制作の仕事に関わるメンバーが確定できなかったこと。一応2名は任命したのだが、この二人ともキャストとしても出番の多い役を持っていたので中々気持ちと時間が 回らず途中で気が付いたが中々スムーズにはいかなかったこと。
 以上を基に、近々にも近隣都市での出張公演をやってみたいという声が出ているくらい意気は上昇したのだった。