春の祭典2015  決戦・サンピアザの戦い Ⅴ

観劇日/15.3.28.
劇場名/札幌サンピアザ劇場

演目1  みえにくいアヒルの仔

上演時間/11:05~12:05
上演学校/伊達緑丘高校演劇部

作/越智優 潤色・演出/寺沢英幸 照明/小泉みのり
音響効果/五十嵐菜々 制作/佐藤美琴
協力/伊達緑丘高校演劇部OBOG会

出演/秋口紗輝・小原裕奈・丸本華乃・鈴木晶・小田椋子・奥山裕貴

メタシアターから見えてくるもの

 高校生たちが保育実習で演劇「みにくいアヒルの子」をやることになった。たった一人の演劇部員・ゆうは張り切って台本や衣装作りに励むが、ほかの実習性たちは乗り気でない。
 演技とはどう言うことか、という素朴な疑問の続出から、演技と実の人生との差異、さらにその演じる人物の関係から人間関係のぎこちない真実の片鱗までが炙り出されてくる。普通の人が演技をすることから気が付いてくる何物かを追求するという実験的な物語。タイトルが「みにくい」ではなくて「みえにくい」に注意! 事実と演劇的な表現との違いを「みえにくい」と言ったのだろうか?
 演技がわざとらしい極端で大袈裟な表情・身振り・台詞回しでリアリティのない学芸会的な表現法だと感じたのだが、ずっと観ていると、これは一種の象徴的表現法の実験なのだろうかと思い、そうだとするとまだまだ未整理だが、新しい表現法となる可能性を秘めているのかもしれないとも思われる。

演目2  ふゆのひかり

上演時間/12:15~13:15
学校名/札幌厚別高校演劇部

原案/厚別高校演劇部 脚本/戸塚直人 演出/ワ野圭ゴ
音響/小西千尋 照明/松尾瀬南
出演/佐竹彩花・吉原沙希・佐藤みきと・
長谷川千紗・渡邊ゆきの・松岡汐音・
石川美月・和野圭吾・青木沙彩・富岡幸喜・森谷美咲
音楽/ソプラノ=川原敦子・ピアノ=土井泰志 
音響技術協力/西野輝明

大切な人との別れ

 親も間違うくらいの良く似た双子の姉妹、ヒカリはスポーツマンでノゾミは理工系、そこをうまく使ってお互いの長所・短所を補いあっていた。特にテストの時などに。
 ある日、突然の事故で二人は意識不明で瀕死の重傷を負い、互いの損傷部位を交換しなければ二人とも死ぬ。うまく補えばどちらかは助かる。
 ヒカリかノゾミか、両親は混乱し決められない。だが決めないと二人とも死ぬだけだ。苦渋の末、二人の名前を書いた紙片を丸めて一つを選ぶ。ヒカリは死にノゾミは一命を取り留める。
 ノゾミはもちろん、両親もヒカリを見捨てざるを得なかった苦渋の結果に苛まれる。ノゾミは退院して学校へ行って、みんなから歓迎されてもヒカリの存在を詰問されているような自覚に耐えられない。
 ある日、鏡に映ったノゾミの顔はヒカリの顔であった。鏡の中のヒカリに許しを乞うノゾミに、鏡の中のヒカリは笑って、悩ませてゴメンと逆に謝る。依然と拘る両親にノゾミはヒカルの心を伝える。
 大事な人を亡くした人の心の苦悩と、そこから絶対に離れないことこそが残された者の立ち直りになることを描いた物語。災害で亡くなった人に対する残された近しい人の心の持ちようを現わした物語であろう。
 随所に入る軽快でエネルギッシュなダンスシーンが印象的。そもそも発端は二人が所属するダンス愛好会の迫力ある集団ダンスシーンなのだ。
 出演者たちが群衆となって背景の前の薄明かりの中に座り込み、そのシーンの出演者たちの心境を囁き声の単語で呟くように輪唱する。これは確かに解り易いが説明過剰じゃないだろうか。
 でもこの話の大枠は、萩尾望都・原作で野田秀樹との共同脚本の戯曲『半神』に似ていないだろうか?



久しぶりに二つ続けて高校生の舞台を観て、若者らしい稚拙な一途の思い込みと同時に、若々しいエネルギーに圧倒されて爽快な気持ちを味わった。