ママ友の塚ノ原家・波磨子と八重垣家・富美代の2家族を中心にした不倫による家族破滅と再建に至る物語。それが夫婦や子供・祖母、そして不倫相手の8人をメインにその他の4人の登場人物を二人の女優が入れ替わり立ち替わり衣装を換えて演じる。
だが主役とも言える波磨子の不倫相手であるカヅオはそもそも夫の宗盛が偶然に街頭で知り合って、勝手に連れ帰って息子の宗近の家庭教師を依頼したのに、放って置かれた妻の波磨子が一方的に片思いして一人相撲を取って自己破滅してしまったのだ。
一方、ママ友の富美代の方も夫の忠道が部下のOLに子供を産ませる。
そういう二つの銀行員として出世途中にあった家族の波乱を描くのだが、それらの8人の主要の登場人物を含めて脇の4人の登場人物を次々と交代で演じる。
しばらくは誰がどの人物を演じているのかが分からず混乱するが、話が分かってくるとその変貌ぶりが逆に面白くなってくる。だがこの単純といえば単純な物語をなぜ、こんな複雑な仕掛けに創ったんだろうかと疑問が起きる。
一般にありがちな状況を一人の俳優が複数の役を表現することで一般化させたんだろうか? スリリングな展開は確かに面白いが物語そのものは単純だし、それぞれの役をそれぞれの俳優たちが演じれば分かりやすい話になってしまったのかもしれない。
そしてもう一つの実験は主人公のカズオは登場しないのだ、イヤ登場するのはするのだが、透明人間なのだ。カズオがそこに居ると相手役が勝手に思って会話をしている。これも自分で自分の世界を勝手に造って、その世界の中に埋没してしまった人の自己破滅の展開なのだろうか?
最初に出世途上の現行員が駅のホームでカズオに偶然に会ったとき、なぜかいきなり線路に飛び込もうとするのを意味不明に感じたのだが、それは彼自身が前途の破滅を予感して彼自身が意味不明に自殺未遂を実践したのだろうか?
ともかく様々なシュチュエーションを次から次へとたった二人の俳優がしかも男役までも演じる軽業的な展開に不自然さがなく、偶に髪型や声音にちょっと違和感はあったけれども、すんなりと観て居られたのは初めての体験だった。
以前に劇団アトリエが一人何役もの人物を交代に演じる『別れの戯曲』という舞台があったが、それは全員同じ衣装で着替えはない。それに対してこの舞台は、役毎に衣装に着替えるのだから、その目まぐるしさには驚嘆する。だがそれだけの効果はあったのだ。『別れの戯曲』は登場人物全員が共通衣装なのに、『カズオ』は役によって衣装を着替えるという両極端の表現方法の違いに関心が赴く。 |